鬼押出し、ジョン・レノン、鎌原観音堂〔8195〕2025/09/22

2025年9月22日(月)晴れ!
そんな訳で、今朝は高知。昨日のお昼、富山、氷見線の雨晴駅を出て、高知駅へ着いたのは20:42。遠いねー。途中の待ち合わせ時間を入れて、8時間37分。まあ、僕は鉄道に乗るのは苦にならないので、別にいいのですが。
明日はお彼岸。暑さ寒さも彼岸まで。今朝の高知の涼しいことよ。先週までの猛暑から、一気に秋の風情やね。
今回、軽井沢、直江津、富山とまわった訳ですが、このにっこりでは紹介できなかった場所があります。「鬼押出し」と「鎌原観音堂」。特に「鎌原観音堂」はいつか行ってみたかったので、優秀なガイドさんの説明付きで、とても良かったです。
まず、「鬼押出し」。日本に「天明の大飢饉」をもたらした、天明三年(1783年)の浅間山大噴火で噴出した溶岩が冷え固まってできた景観。ブリニー式の噴火でしたが、溶岩の粘土は中程度で、比較的遅い速度で浅間山北斜面を下り、冷え固まって「鬼押し出し」。
中央下の写真。1977年、ジョン・レノンが、オノ・ヨーコ、息子のショーンと一緒に「鬼押出し」を訪れた際の写真。右下は、同じ場所に立つ僕。僕は1982年、大学3年生のときに「鬼押出し」へ行ってます。ジョン・レノンの5年後だったのか。なんか、ニアミス感が、嬉しい。
そして「鎌原観音堂」。かんばら観音堂。日本のポンペイとも言われる村の、象徴的存在ですね。
上に書いた天明三年の浅間山大噴火で「土石なだれ」に襲われた鎌原村は、570人の総人口のうち477人が犠牲になってしまい、村で一番の高台であった観音堂に駆け上がった93名だけが生き残ったとのこと。藩政期の戸籍制度が完備していたお陰で、この犠牲者氏名も全部わかっています。そして被災の33年後、左写真の、犠牲者全員の氏名を刻んだ供養碑が建てられてます。
中央上が観音堂。この石段は現在15段。昭和54年の発掘調査で、この下にあと35段、全部で50段の石段だったことがわかってます。35段分、「土石ながれ」で村ごと埋まってしまいました。石段の最下部に、石段を登ることができなくて犠牲になった二人の女性遺骨が発見されています。
ベスビオ火山のポンペイは、大規模火砕流によって埋め尽くされてしまいました。鎌原村もかつては火砕流と思われてたけど、調査の結果、そうではないことが判ってます。
鎌原村よりもかなり高い斜面に、沼があった。そこに溶岩が下ってくる。その高熱で大規模の「水蒸気爆発」が起きてしまい、大土石流が発生、時速100kmで下ってきて、一瞬にして村を埋め尽くした、ということらしいですね。
かつての村の数メートル上に、残された90余人が、村を復興する。その歴史もまた、凄まじいものがあります。夫を亡くした妻と妻を亡くした夫が一緒になったり、他所から移住者を迎えたり。このGoogleマップ見ると、残された人々が平等になるよう、土地区画が整備されていることが見て取れます。先人の知恵と努力。
説明してくれたガイドさんが優秀で、とても勉強になりました。
さあ、高知。心地よい朝の風が吹く朝。仕事を始めよう!