Tシャツの裾を出すか入れるか問題〔8232〕2025/10/29
2025年10月29日(水)晴れ!
今、読書週間。ネット、SNSが普及し、本をまったく読まない子供が10年前の1.5倍になって、半数を超えたと今朝の高知新聞「小社会」。かく言う僕も、YouTubeを観たりする時間が増えたけど、極力、本を読むよう心掛けては、います。「小社会」に、三宅香帆さんがネットについて語った言葉が紹介されてました。「欲しい情報はピンポイントで探せる。背景や文脈、周辺の知識は『ノイズ』として除去しがち。ノイズを失うと新しいアイディアは出にくく、他社への想像や理解が難しくなる。本は一番ノイズを取り入れやすい。」
そういうことだ。あと、ノイズは楽しいということも忘れてはならない。ノイズがあるからこそ、人生が豊かになる。僕の場合は「ノイズ」が主体で「本線」が疎かになったりするけど。
この写真にあるのは、最近読了した本。今は「福音派ー終末論に引き裂かれるアメリカ社会」というのを読んでる途中。そう。このところ、アメリカ社会の成り立ちが、貨物列車と並ぶマイブーム。現代社会を考える大きなヒントが、アメリカ社会の成り立ちと現在にあることが、こういった本を読むと、よく理解できます。「ザ・フェデラリスト」は、政治家、政治を志す人には必読の書やね。今まで読んでなかったのは迂闊でした。いや、政治家は志さんけど。
昨日読了したのが、「Tシャツの日本史」。面白かった。人から「ダサい」と言われたことのある貴方。直接言われなくても、「お洒落」と言われたことのない貴方、ぜひ、お読みください。そう。僕は人から「お洒落」と言われた経験、ありません。
Tシャツを切り口に、日本のファッション史をおもしろく解説してます。帯には、こう。
「あなたの【裾】に隠された日本の同調圧力と美の仕組み」
「裾を出すのか入れるのか。日本の若者たちは、まわりの友達と同じようにTシャツの裾をさばかないと【みっともない】【ださい】と言われ、笑われてしまう世界に生きている。」
Tシャツがファッションとして認知されるようになったのは、ジェームス・ディーンや石原裕次郎の頃からなのか。で、その頃から1980年代の終わりまで、Tシャツの裾は、タックインするものだったのだ。ところが、「渋カジ」といったファッションが社会現象になった頃からTシャツの裾は、徐々に外に出されるようになる。最初は、ファッションの「テクニック」として。ところが2000年頃になると、裾を出さないと「ダサい」と言われるようになり、それを決定づけたのが「電車男」で、2005年に「脱オタクファッションガイド」という本が出版され、「タックインはみっともないのでやめましょう」と書かれるに至る、のである。
ところが。2010年代に入ると、若者たちが一斉にTシャツの裾を入れるようになる、のである。僕は、ダサいので知りませんでした。菅田将暉とかがそんなアイコンとなり、裾入れを牽引していったんだそう。
ただし。2000年頃に「裾出し」が一般的となっていったような、社会全体のムーブメントとは少し様相が、違う。現在でも、僕らオヤジにとってタックインのハードルは高いのである。皆さんは、どうしてますか?
なかなか奥が深い問題やねー。
「タックイン」は、ダサかった。そして2010年代、「ダサいのが格好いい」というムーブメントが起きる。そのムーブメントを牽引したのが、デムナ・ヴァザリアというデザイナーなんだって。もちろん僕は、知りません。ビニールテープにしか見えないブレスレットを17万円で発売したり、DHLという運送会社のロゴを入れただけのTシャツを3万円で売ったり。運送会社の作業着にしか見えん訳やけど。イケアの110円のショッピングバックとそっくりなトートバックを作ったら、24万円という値段がついたり。
実は僕、こんなTシャツを、インターネットのTシャツプリントサービスでつくってしまいました。某大手コンビニ「F」で、白の無地Tシャツ売ってるの、見たことありませんか?「みほん/Sample」と書かれたビニールが掛けられた状態で。僕は、その、「みほん/Sample」がプリントされたTシャツがどうしても欲しくなり、つくってしまったのでした。僕がデムナ・ヴァザリアなら、これ、いくらで売るのかな。
と、まあ、僕の人生はこういった「ノイズ」だらけな訳で、それが楽しかったりする訳で、人生が豊かになったりする訳だ。読書週間。みんな、本、乱読しましょう!
