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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

九反田から美しい夜明けの空を眺める〔1315〕2006/11/21

九反田から美しい夜明けの空を眺める

2006年11月21日(火)今日も晴れ!

しかしまあ昨日もヌクかったですな。今日もおんなじばあヌクウなりそうな高知市内です。朝から結構ヌクいですきに。

写真は今朝の鏡川河口界隈。夜明け前の空があまりに美しかったので思わず撮影してみました。九反田橋北詰のちょびっと東からの写真です。鏡川大橋の大きなアーチと、それに稜線が重なる五台山。空の色は黄金色。頭上の空はだんだんと真っ青になってくる時間。なんとも言えん素敵な空間です。

そう言えば鴨も増えて来ました。黄金色に輝く川面に鴨が写っちょりますね。朝食中でしょう。鏡川のあちらこちらに鴨の集団を見れる季節です。

昨日ご紹介した「水丁場」、つまり鏡川の水防受持ち領域は、12の区画に分けられたと書きましたが、その東端は雑喉場(ざこば)。この写真を撮影した場所の100mばかし西ですな。そこより東はお城下の町のエリアぢゃあなかったという訳です。浦戸湾に面した湿地帯やったがでしょう。が、しかし、浦戸湾に面しちゅうという交通の利便性で、江戸時代を通じて徐々に都市開発が進んでいったのでありました。何と言うたち高知の城下の玄関口ですきね。

大高坂山から浦戸湾にかけては「国沢」という湿地帯やったとお話しました。戦国の頃、今の堀詰の南は小高い丘になっちょって、国沢城というお城もあったそうですね。湿地と丘のデコボコを平にならして城下町を創ろう、と考えたのは長宗我部元親さん。一度は大高坂山に大きな城を築き、城下町をこさえましたが、2~3年で功名が辻に出て来た浦戸城へ移っていきました。川の氾濫に悩まされた、てな話が定説ではあります。が、浦戸を本拠にした方が交通の便が良く、朝鮮出兵とかに都合が良かったから、という説もあります。ホントのところは元親さんのみぞ知る、ということですな。


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