1本からお届けします!お電話でのご注文・お問い合わせ

フリーダイヤル:0120-77-6245

今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

新宇津野トンネル、宇津野峠の話〔1701〕2007/12/12

新宇津野トンネル、宇津野峠の話

2007年12月12日(水)曇っちょります

ここは夜明け前の新宇津野トンネル。南出口を撮影してみました。1971年に完成した、全長570mのトンネルで、この11月5日のにっこりでご紹介した宇津野隧道が手狭になったので、上り専用の一方通行トンネルとして開通したのであります。この右手の植え込みの反対側に宇津野隧道の出口があります。植え込みを少し登っていくと、小さな祠がありました。

そう言えば、このにっこりで何度もご紹介する浦戸湾の衣ヶ島、仁井田神社の横に、鎮若宮八幡宮というお宮さんが鎮座しちょります。

元々、この辺りに鎮座して、「ナニカ」を鎮めるために鎮座されちょった神社で、新宇津野トンネルをつくる際に衣ヶ島へ遷座されたとか。つまり、この家の奥という地区に、、「ナニカ」を鎮める目的で神社があったという訳です。

「ナニカ」で思い出す話があります。このところのマイブームで、横浜から宇津野越の峠の山道を越えて孕へ出て、出勤する、というががお気に入りやったがですけんど、この宇津野山界隈、伝説では「出る」という話があるらしいのであります。こないだ、タベシマさんに聞きました。何が「出る」のかは怖いのでよう聞かんかったです。ちくとだけ調べてみたら、藩政期初期の頃は、宇津野峠は山内の殿様お気に入りの景勝地やったそうで、あんまし怖そうぢゃありませんでした。が、1733年の享保の大飢饉で、長浜にあった「御救小屋」へお城下から行こうとした多くの餓えた民が、宇津野峠の坂道で行き倒れて亡くなった、という記事を発見。こりゃあちくとすごい話ですな。

1703年に、城下の小高坂に、難民救済のためつくられた「御救小屋」、1705年には長浜に移転され、この享保の飢饉の頃には長浜で運営されよりました。城下からは結構遠いですな。歩いて宇津野峠を越えるというのは、ちくと過酷やったがでしょうか。そんな話を知ってしまうと、こりゃあ暗い時間にヘッドライト点けて山道を歩いて出勤する、という楽しみは、ようせんなってしまいました。これからは明るい時間に歩くことにします。


←前日の日記2007年12月の日記翌日の日記→

HOME今日のにっこりひまわり

日記検索

年月別過去ログ

年のクリックで月を表示・非表示します。月をクリックすると記事一覧を表示します。

2026年

2025年

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

サイトマップ

facebook  instagram  x