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夜須、観音山、標高27mの命の山、碑文〔3255〕2012/03/14

夜須、観音山、標高27mの命の山、碑文

2012年3月14日(水)晴れ!

昨年の大震災後、高知県下各地にある、安政地震などの地震碑とかを改めてご紹介しました。2011年3月15日のにっこりには、香南市夜須の観音山に鎮座する地震碑のことを書いちょります。

観音山は、夜須の街中心部の北西にある標高27mの小山。この山が、安政南海地震の大津波が夜須を襲うた際、命山となって数百名の命を救いました。
そのことを、大きな石に刻み、後世への戒めとしたのが、観音山の地震碑。
写真は、その観音山てっぺん。左に、その、大きな碑が見えます。眼下には夜須の街、その向こうに手結の港。

この石に刻まれた文字は、昔の流麗な文字で書かれちょりますので、なかなか判読できません。が、それを解読した案内板がこの横にあるがは嬉しいこと。今回は、その文章をそのまま転載してみます。

奉納延命十旬観音経一百万遍也
為万民安全長久
付たり大変津波の記。
去る嘉永七寅(安政元-1854)十一月四日早朝より地震致し、夫より大汐一日に七・八度の狂いこれあり、衆人只不思議と怪む計り也。翌五日、青天にて暑さ夏炎の如く同日夕七ツ時(午後四時)大地震。天地も崩るる如く、老若男女大いに驚き蚊の鳴く如く騒ぎ立ち、同じ日入り頃又驚きこれを言うあり。食物・着用手毎に引堤げ、此の山上へ持ち運ぶ数百人相助かる。実に当山は命の山と永賞致す也。二番波少し波間これあり。其の時大汐沖へ引き取る事二三十町計り。夫より三番波これあり、五ツ時(午後八時)打ち入り一度に家蔵流失致す。跡白浜と相なり目もあてられぬ如く也、思えば天変有る間式事計り。かたく宝物家に残すも再び我が家に帰るべからず。必ず必ず是肝要なり。
筆者 福重鉄次郎

なんという有用な情報の記載でしょうか。こうやって、石から案内板に転載してくれちゅうだけでも、他の地震碑に比べたらずっと親切。これを、願わくば、子供にもわかるように読み下し、住民に徹底するようにしてもらいたい。

この文章を、昨年3月15日のにっこりでは現代土佐弁に読み下しちょります。今日は、標準語に読み下してみます。皆さん、どう感じますでしょうか。

奉納延命十旬観音経一百万遍也
万民の安全長久のために
地震津波のことを書いておく。嘉永7年(1857 年)11月4日早朝から地震があった。それから一日の間に7~8回も、海が満ちたり引いたりして、おかしくなったが、住民達は、不思議がって怪しむばかりであった。
翌5日は、キレイに晴れ上がり、夏みたいに暑かった。その午後4時頃に大地震が発生。天地が崩れるように揺れて、 老若男女、とにかく驚いて、蚊が鳴くみたいな騒ぎになった。その後、日没頃に、津波の第一波が襲来。西町から東へと打ち入って来た。住民達は、 また、驚いて騒いだ。食べ物とか着る物とかを持って、この山上へ逃げてきた数百人は、なんとか助かった。本当に、この山は、 「命の山」と永く伝えられるべき山である。
そのうちに第二波がやってきたが、これは小さかった。その時、潮が300mくらい沖に引き、それから津波第三波が襲来。午後8時頃で、家も蔵も、いっぺんに流失してしまった。津波のあとは「白浜」となって、目も当てられ ない惨状であった。こんなことがあってよいのだろうか。金目の物、大事な物を家に残してきても、絶対に、取りに戻ってはならない。これを、絶対に絶 対に忘れてはならない。
筆者 福重鉄次郎


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