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赤岡町岸本、懲りて慎む、刻まれた玉文〔3256〕2012/03/15

赤岡町岸本、懲りて慎む、刻まれた玉文

2012年3月15日(木)晴れ!

今朝も冷えました。春本番はもうちょっと。今、業界の寄り合いにて東京へ向かう飛行機の中で、このにっこりを書きよります。良いお天気で、のったりまったりした機内。

昨日、夜須、観音山の震災碑の現代文訳をご紹介しました。どんなことを感じられますでしょうか。大津波の被害に遭うた住民の、後世の人々への戒めの文章。子孫たちは、なんとか、助かってもらいたいという想いが伝わってきます。
昨年の震災後、3月14日に、夜須の西の香南市赤岡、岸本に鎮座まします飛鳥神社の碑をご紹介しました。現代土佐弁読み下しでしたので、今朝は現代標準語にしてご紹介します。

写真は、その碑の裏側。大きな自然石の表から裏にかけてビッシリと刻み込まれた玉のような文章。安政5年9月に建てられちょりますので、安政南海地震の大津波から、間もなく4年が経過しょうとしよった時期。同じ時に、この飛鳥人神社参道入り口の大きな狛犬もご寄進されちょります。やっと、復興が進み、震災のことをゆっくりと考えれるようになった時期でしょうか。この文章も、色んなことを感じさせてくれます。


懲りて慎む
諺に油断大敵というのがあるが、本当に深い意味のある言葉で、おろそかにしてはならない。安政元年(1854年)11月のこと。朝八時頃、普通ではない大きな地震が発生、岸本の浦は、潮が20mくらい引いて、手結の港も干上がってウナギが大量に獲れたりした。その日は、2回くらい小さな地震があったが、それほど驚く人も居なかった。

翌5日午後2時過ぎ、大きな揺れが3回。午後4時過ぎ、大きな雷鳴のような地鳴りがドロドロと響き、大地震が起きた。これはどうしたことか、と人々が驚いたが、家や蔵や高塀や道具類、色んなモノが崩れ、壊れる音も凄まじく、逃げようとしても、身体の自由が利かず、這いずって家を出た。そこへ大津波が襲い、当地は、徳善町より北の田んぼまで、赤岡では西浜、松の本まで、吉原では庄屋の門にまで津波が襲来した。また、香宗川を遡上した津波は赤岡、神輿休め(こしやすめ)の所まで至り、古川堤、夜須堤も押し切られて夜須の町の家はほとんど流失した。

そんな状況で、人々は、お年寄りを助け、幼児を抱え、泣き叫びながら王子須留田神社か平井の大龍寺の山へと逃げ上って命が助かった。この時、国中の官舎や民家が多く倒壊、高知の城下下町、幡多中村ともに火災が発生して一帯が焼亡、死傷者が数百人に及んだということである。

幸せなことに、当地は、神のご加護によって一人の怪我人もなく、避難した山々に小屋を建てて過ごし、日々の経過とともに余震も少しおさまってきた頃、神の恵みに感謝し、喜びつつ、皆、自分の家に帰って行った。

そもそも、宝永4年(1707年)の南海地震と大津波は、今から148年前のことであり、また、今からそれくらいの年月を経過した頃には必ず同じような地震と津波がやってくるであろう、という人も居るだろう。自然災害は、いつ襲うてくるか前もって予測することは難しいが、いざという時にはこうしよう、という備えと心構えがあれば、その時になっても狼狽することはない。

現在の人達は、宝永の南海地震と大津波の話を、昔話のように思っていて、油断の大敵に遭うこととなった。そこで、後世の人達が、今回の大災害を、又、昔話のように思って油断したりすることにないよう、今回の状況一切を石に刻みつけて、この飛鳥神社と共に、永く、永遠に伝えていこうという話になったのは、里人たちの誠の心の賜物である。千規、たまたま、赤岡町高見の官舎で役人の仕事をしていて、住民達と共に震災に遭ったということで、その状況を文章にして欲しいという願いに応えてこの文章を書いた。
安政5年9月吉日
徳永千規 誌
前田有稔 書
澤村虎次 刻


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