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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

鹿児島、おそるべし〔3333〕2012/05/31

鹿児島、おそるべし

2012年5月31日(木)曇りでごわす

てな訳で今朝は鹿児島。たぶん、このにっこりひまわりを鹿児島からお届けするがは初めて。始まって9年以上経過しますが、鹿児島で朝を迎えたがは初めて。今日は記念すべき3333回目のにっこり。その記念すべき日を、鹿児島で迎えることになりました。

昨夜、鹿児島中央駅に着いて、鹿児島市営の路面電車、つまり市電に乗って高見馬場のホテルに到着したのは夜の9時半。18時に高知空港を出発した訳ですき、早いですな、まっこと。すごいもんです。

で、今朝は5時過ぎから鹿児島市内をたつくりまわってきました。まずは、もちろん加治屋町から。この界隈、維新の偉人やら明治期の偉人やらの生家がこれでもかと言うばあ集中しちょります。西郷隆盛、西郷従道、大久保利通、大山巌、東郷平八郎などなど。藩政期、下級武士が住むエリアやったようですけんど、それにしてもこの集中度はすごい。

土佐の場合、維新期の偉人の出身地はかなりバラついちょります。近いと言えば、板垣退助と後藤象二郎と片岡健吉くらいでしょうか。何故、鹿児島はこんなに集中しちゅうかと言えば、その遠因は「郷中教育」という薩摩独特の青少年教育制度にあったようです。地域ごとに、自発的に、自分達先輩後輩の関係の中で助け合い、学び合いながら成長していく仕組み。教師が居ないのが特徴。学問も示現流に代表されるような武道も、その郷中で切磋琢磨されていったのでありました。

西郷吉之助くんなどは、その中で育ち、頭角を表していった訳です。
西郷隆盛、大久保利通などが維新で功績をあげ、そして、その同じ郷中の若者が明治期に偉うなっていったということ。これは、気心が知れた人物、同郷の人間を、先に出世した者が引き立てていった、ということもあるようです。この辺が、土佐とは違うところ。
土佐人は、土佐勤王党とか、自由民権運動とか、志しの部分で団結したりはしますが、基本的に、出世などの共通利益のために徒党を組む、てなことをメッソしません。その辺が、明治期、中央政権で薩長に遅れをとった理由かも知れません。
それぞれ、一匹狼的な働きをしたがが土佐人。これは土佐の弱点でもありますけんど、愛すべき資質でもあります。
鹿児島の偉人集積をみながら、そんなことを考えてしまいました。

しかしあれですね、地面には火山灰。いっつもこんな状況ながでしょうか。こりゃあなかなか大変。ゴミの集積場所に「降灰指定置場」というのがあって、ゴミと同じように集められた火山灰が。鹿児島は、土佐や沖縄と同じ南国ですけんど、しぶとい気質はこんな環境に由来するがかも知れません。

さて、その加治屋町から繁華街の天文館を抜け、島津公をお祀りした照国神社にお参りしてから、城山を一気に駆け上ってきました。なかなか素敵な城山。丁度、6時半やったので、てっぺんの展望広場ではラジオ体操の真っ最中でございました。たくさんの老々男女が元気よく体操。思わず、ひまわり太郎も一緒になってラジオ体操第二までやってきました。

途中で、おんちゃんたちの叫ぶような掛け声。さすが示現流の鹿児島。ラジオ体操も薩摩風にアレンジされた掛け声でやるがや、と、感心してしまいましたでごわす。

写真は、ラジオ体操が終わった後の、独自の運動風景。これも、四股を踏んだり、雄叫びを上げたり、日本の他地域とはちくと違う文化で、嬉しゅうなってしまいました。向こうには雄大な桜島。このラジオ体操は、全員、桜島を向いてやりよりました。

宿に帰り、身支度をしてチェックアウト。鹿児島中央駅前のレンタカー屋さんに向かうがに、また、均一料金160円の市電に乗りました。すべてに満足し、駅前で降りて、自分のズボンの社会の窓が全開であることに気付きました。
鹿児島、恐るべしでごわす。


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