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慶応3年夏、この川原は大歓楽街に〔3454〕2012/09/29

慶応3年夏、この川原は大歓楽街に

2012年9月29日(土)曇り

台風が来よります。南へ逸れてくれたら有り難いですけんど。
鏡川は、まだ、文字通り鏡のような川面で、静か極まりない状態。ホントに静かな夜明け前。

夜明け前、潮江橋北詰の橋の下から西を撮影しました。とっと向こうに天神橋。以前にも書いたことがありますが、幕末から明治にかけて、この鏡川原は、ものすごい賑やかな状態になっちょりました。毎夜、大勢の老若男女が川原に出て来て、踊ったり歌うたりしながら夜を過ごす。出店も数百軒。象徴的ながが「のえくり」。前の人の腰に手をかけて、何人、何十人、何百人が連なって蛇のようにうねりながら歩き回るがが「のえくり」。幕末土佐で異常流行したようです。その様子は、いっつもご紹介する宇佐、真覚寺住職、静照さんの日記でも紹介され、とてつもない賑やかさやったことがわかります。

なかでも、慶応3年の賑やかさは凄まじかったようで、「慶応三年鏡川夜涼みの図」という絵が描かれ、その様子が文章になって記載されちょります。今年から数えて丁度145年前の夏。ちくと長いですけんど、わかる範囲で、現代土佐弁に小生が読み下してみましょう。細部は間違うちゅうと思うので、気にせんと、全体像を感じて頂ければ幸甚幸甚。

1.この7月のお盆の頃から、唐人町の川原(この写真の界隈)で、夜涼みがこじゃんと盛んになってきた。京都の四条河原の夕涼みなんぞとは比べモンにならん。この夜涼みがどうやって始まったか、もはや知っちゅうモンも居らん。どんどんと増長してきて、8月に入ったらもう、錐を立てる場所もないばあの混雑ぶりになった。中島町とかはりまや町辺りから競り合い押し合いしながら川原へ、川原へ、と押し出していく人数は、相撲興行の際の野道にかあらん。それっぱあすごい人出。

1.集まる人は、城下郭中の男女、上町、下町、市内近郊4ヶ村は申すまでもなく、西は伊野村、東は布師田、仁井田、種崎からもやって来る。当然、銘々、酒や肴を持参してやって来る。月末の闇夜とかには、みんなあ提灯をぶら下げてくるき、その光が星みたいに見える。

1.「のえくり」は、昔っからある、子供の遊びの名称やった。この鏡川の「のえくり」は、連なる人数が二〜三百人に及び、大将とか、小頭とかみたいな者も現れて、その立ち振る舞いとかは軍隊の調練にかあらん。群衆の中を「のえくり」まくりゆう。

1.踊りは、昔っからある踊りもあるけんど、メッソ盛んではない。「大仏踊り」とか言うて、丸い形で踊るがが流行っちょって、その群れが幾筋もできちゅう。その歌は、

石になりたや 大仏の石に(合コリャサ)
諸国諸大名の 手掛石(アーヨウイヨウイ ヨイヤサ コリャサ)
橋の下のそうかさんに
白めしゃ無益(コリャサ)
百に三升五合の ぬかかませ(アヨウイヨウイ ヨイヤサ コリャサ)

その他にも歌詞のパターンはどっしこある。
これを、勤王の志士も、一刀差しの武士も、町人の男女も、みんなあやる。装束はそれぞれ様々。

1.河原には店が軒を並べ、北町、中町、南町、と三筋ある。300軒近いという話ぢゃ。料理屋、仕出し屋、居酒屋、支度屋、寿司屋、うなぎ屋、揚げ弓、のぞき・うつし(のそきカラクリ)などをはじめとして、色んなお菓子を売りゆうがは当然で、ありとあらゆるお店が出てきちゅう。切り店風の遊女も出現したけんど、これは一夜限りで禁止になった。

1.料理屋では、赤い前掛けの女の子がお酌をし、こじゃんと賑やかであるが、中でも、東灘から女形役者を雇うて、女装して給仕させるお店が大当たり、男女、千客万来の状況。

1.川の水際には、底の平たい船を並べて座席をしつらえ、大きい紙でスクリーンをつくって、生きちゅう人間が演じる影絵も出現。その他、川原に小舟を引き上げた「貸座敷」も多い。川原には毛氈とかを敷き並べ、舞い踊り、川面には「天一丸」「陽日丸」をはじめとする、ありったけの屋形船が浮かび、その軒に提灯をぶらさげて、娘が三味線を弾いたり踊ったり。座頭が浄瑠璃を語ったりもしゆう。また、上方流の笛、つづみ、太鼓で騒ぐモンも居る。それぞれの身分や財力などに応じて、遊楽を極める状況が、8月7日、8日くらいになってもまだ衰えんづくとに続きゆう。おかしなこと。

1.これっぱあ男女、群れ集まって騒ぎゆうに、喧嘩や狼藉がヒトッチャアない。田舎の土佐も、ちっとは開けてきたにかあらん。世直し餅とか、豊年餅とか称するものが売られ、凶悪な状態にはならんので、官憲も、取り締まるには至らんにかあらん。

1.この賑わいは、夕暮れから始まり、夜10時ばあから夜中の1時ばあまでが最盛。午前4時ばあになってやっと静まる。酔い倒れたモンも多く、朝日が昇るまで目が覚めん。

1.南岸、潮江の堤にも、川原に負けじと提灯が並び、飲食の店が立ち並んじゅう。

1.それぞれのお店は、それぞれ、目立つように趣向を凝らした提灯を高く連ねるので、橋の上からその風景を見渡すと、それはそれは筆舌に尽くし難い美しさ。

1.砂糖湯のお店では、四斗の桶に山盛りであった砂糖が、夜半には底が見えて来るくらいの売れ行き。

1.ウナギの蒲焼きの売れ行きは尋常ではない。夕方、数軒の蒲焼き屋さんに山のように積まれた、さばいたウナギが、夜半には売り切れ。結構高価なモンやき、かなりの金額が飛び交いゆうねえ。

1.この、すごい賑わいは、「のえくり」から始まったもんぢゃき、「ノエクリ餅」とか「ウナギのノエクリ焼き」とか、「のえくり」の名前が付いたモンがこじゃんと発売された。

1.今回のこの賑わいを見物したら、色んな災難、厄災から逃れれる、というてみんなあ出掛けゆうに、よう見に行かんがは、お屋敷のおエラいさんやろうか。気の毒気の毒。

千秋万歳。

以上が、その文面。かなりいいかげんな意訳ですきんね。

それにしても、145年前の慶応3年といいますと1867年。年末には大政奉還。明治になる直前。世相は、まさに風雲急を告げちょった時代。そんな最中、庶民は、こんなことで憂さを晴らし、エネルギーを爆発させよったことがわかります。あの時代に、夜中までソバえよります。すごい。「ええじゃないか」が、土佐版ではこんなことになって、皆が川原で「のえくり」、飲めや歌えや踊れやの大騒ぎ非日常空間を醸し出しちょったのでありました。
そんな現場に、おってみたかった。


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