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介良、花熊城、横山九郎兵衛さん〔3561〕2013/01/14

介良、花熊城、横山九郎兵衛さん

 

2013年1月14日(月)小雨のち曇り

 

朝の高知市内は小雨。北の山々を見ると、雪雲に覆われ、白く雪化粧をしちょります。雪の四国山地。高知自動車道は、またまた通行止め。これは困ります。山陰とか北陸とかの高速道路は、全部、タイヤ規制で通行しよりますのに、四国の山中は、雪が降ると通行止め。これは、新鮮なものをお届けしたい我々業者には、かなりこたいます。みんな下道を走るので、かえって危ないと思うがですけんどね。高知自動車道も、雪タイヤ規制で通れるように、なんとかしてもらいたいところです。

 

そんな訳で、午前中は会社に行っちょりました。皆さんの努力で、無事、商品も運ばれていきよります。ご苦労をおかけします。本当に。

 

午後、あまり時間がないので、会社の帰りがけに、ここ、介良に立ち寄ってきました。朝峯神社さんのしゅっと西。介良川に架かる橋の上から撮影した花熊城趾。花熊城は、横山城とも呼ばれた、戦国期の平山城。中世から戦国期にこの界隈を支配した土豪、横山氏の居城。

 

あの向こうの小高い森の中に、そのお城はあったと思われます。周りをぐるりと探索してみましたが、登り口がない。よう見つけませんでした。あまりにも密集した竹林と雑木。押し入っていく手がかりもなく、時間もなかったので、諦めて、この橋の上からのご紹介となったのでありました。残念。

 

と、今、ネットで調べてみましたら、時間がないので行ってみんかった、山の西側に、どうやら登り口があるがにかありません。悔しい!

キチンと城八幡様も鎮座、古い石垣も残るお城とのことで、こりゃあ、近いうちに絶対に行って来んといけません。

 

昨日、長宗我部軍対安芸軍のウォークイベントをご紹介しました。永禄12年(1569年)、元親さんと国虎さんの合戦にもとづいたイベント。もう、その永禄12年当時は、長宗我部氏は土佐の中央部を完全に支配し、勢力を拡大しよった時期。

それから遡ること22年。天文16年(1547年)、岡豊の本拠を置く長宗我部国親は、いよいよ、土佐国制覇の本格的な戦闘を始めました。まずは大津の天竺右近花氏を叩く。

 

以前、何度か書いた事があります。戦国期に活躍した武将の中で、その本拠から眺めながら自分が覇者となった姿を想像し、願望できたのは2人。

本山清茂(梅慶)と長宗我部国親。

それは、その山に登っててっぺんから見晴るかしてみれば、わかります。両方とも、国を見晴らせる山で、平地からかけ離れた高さでもない。背後が深く、要害の地である。

 

その二者の子供達が、戦国土佐の決勝戦を戦うたのは、必然やったかも知れません。長宗我部国親は、眼下に広がる風景を、自分の支配下に置いた姿を想像し、願い、実行していくことができたと思います。

 

話が逸れました。

その国親が最初に制覇戦の本格的戦闘を仕掛けたのが大津、天竺城。何故か。それは、岡豊の山から見ると理解できます。眼下、しゅっとに見える山に、自分になびかない豪族が居る。これは叩いちょかんといかん。そう、自然に、そう発想できる眼下の山が大津の天竺城であったと思います。

 

その大津、天竺城を陥とした勢いで、そのまんま、ここ、介良の花熊城を陥としました。大津から近いので、ここをキチンとしちょかんと、後々メンドイことになると考えたでしょうか。

その時の横山氏の当主は横山九郎兵衛。どうやらその後、九郎兵衛さんは、長宗我部の重臣となったといわれちょります。

 

この橋の欄干には「花熊城家紋」と刻まれ、このようなオブジェが掲げられちょります。横山氏の家紋。ここにも歴史があった、ということを、地域が守り、伝えていきゆう姿が見えます。


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