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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

奥谷南遺跡、旧石器時代、縄文時代、鹿児島とのつながり〔3574〕2013/01/27

奥谷南遺跡、旧石器時代、縄文時代、鹿児島とのつながり

2013年1月27日(日)晴れ!

縄文時代というのは、なんとなく、北日本で始まったようなイメージがあります。実際、三内丸山遺跡に代表されるような大規模な縄文遺跡は北日本に多い。で、縄文時代北日本起源説が、一般的ではございました。しかし、南九州、鹿児島湾周辺で、旧石器時代と縄文時代が混在するような遺跡がどんどんと発掘され、日本列島の北と南で、同時期、縄文時代の文化が始まったというのが最近の定説。

さて。
南九州、鹿児島湾では、今から11000年前頃、大規模な火山の噴火がありました。言うまでもなく、今の桜島で、その火山灰は日本列島に広く堆積しちゅうので、かなりとてつもなく大規模な噴火であったことがわかります。
その前後が、縄文時代早期。15000年前〜12000年前くらいが縄文時代草創期。その頃、地球はどんどんと温暖化に向かい、海水面が上昇しよりました。

ここは南国市。高知大学医学部の北方、谷間に入っていった集落の北側。高知自動車道で、山肌が切り取られ、高速道路の法面になっちゅうところ。その法面に、右手のような岩が突き出しちょります。高速道路ができるまでは、もっと屹立した巨岩でした。そして、この岩陰を中心とした遺跡が、奥谷南岩陰遺跡。以前にもご紹介したことがあります。高知でも、最古の部類に入る遺跡。一番古い遺物は20000年前の石器。旧石器時代。当時は、地球がこじゃんと冷えた時代ですき、海水面は今よりもずっと下。そんな時代。この岩陰で、人々が暮らしよりました。

この遺跡がすごいのは、それから1万年以上の間、ここが生活の場であったらしいこと。とてつもない長さ。よっぽど、生活する条件に恵まれちょったものと思われます。南に川が流れる、日当りの良い斜面。たぶん、動植物に恵まれた山々。
そして、地球は急速に暖まり、海水面は上昇。縄文時代のピーク時、上昇した海水面は、この前の高知大学医学部界隈まで広がっちょったでしょう。ここから海を眺め、貝を採り、山で木の実を獲ったりシカ、イノシシを捕まえたり。魚も採りよったでしょうね。もちろん海水から塩をつくりよったでしょう。

赤いジャンバーを着たひまわり太郎が立つ岩が、ここの集落の中心。この岩は神の岩やったでしょうか。チャートの岩ですき、石器の材料にもなったでしょうか。岩の南には奥谷の集落。向こうの小山の彼方に、高知大学医学部が見えます。

ここには、今から12000年前の住居跡もあり、そこからは土器が。どうやら、上に書いた、南九州と同じ特徴を備えた土器。ここに暮らした縄文人は、南九州とつながりがあったようです。縄文人は船を乗りこなしたと思われますき、黒潮を利用して、南九州からやって来た人々が居ったかも知れません。
高知には、縄文時代の遺跡は、数えるほどしかありません。が、確かに、他の地域と交流しつつ、人々が暮らしておりました。以前ご紹介した、佐川の不動ヶ岩屋もそうです。同じ仁淀川水系で、その上流、愛媛県に入ったところにある上黒岩岩陰遺跡も、1万年以上前の縄文遺跡。そこからは、縄文人としては最初の人物の絵が、石に刻まれちゅうがが発見されちょります。最初が、線刻の、男女不明の絵。その後、土器に掘り込まれ、土偶になっていく過程がよくわかるそうです。

ここ、奥谷南に2万年前からくらしてきた人々。そんな人々に想いを馳せ、岩の上から平野を眺めるがも、日曜日の過ごし方としては悪うありません。背後の山も、眼の前の小山も、2万年前から、ここに暮らす皆さんが眺めてきた、同じ山。


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