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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

高知で最初の飛行場はここに〔3589〕2013/02/11

高知で最初の飛行場はここに

2013年2月11日(月)晴れ

ここは今朝の浦戸湾。西孕から、宇津野トンネルに入らず、孕半島の外周をまわる道路へ進むと、右手に太平洋セメントさん。今日も、大きな船に、どんどんと積み出し作業をしよりました。その、魅力的な、いかにも機械が動いています、てな感じの工場を右手に見ながらどんどん進むと、半島の形に沿って、道は右折。それをどんどん進めば、また、地形通り右折。しゅっと、短いトンネルがあります。
このトンネルの横には、今でも「月見臺」と刻まれた石柱が、鬱蒼とした樹々に埋もれて立っちょります。そう。この、半島の先っぽの高台は、月の名所やったのでありました。

そのトンネルを抜けた所で、堤防の上にかきついて上ってみると、この風景が見れます。堤防に上がらんと見えませんき、普通の皆さんはご存知ない風景。
今朝は、結構、潮が満ちちょりました。で、半島のちょっと離れた海上に、1本の柱のようなオブジェ。以前にもご紹介したことがあります。以前ご紹介したときは、潮が引いちょったので、もっと近い場所から撮影できましたし、もっと大きゅう、海の上に屹立しちゅう写真でした。

これは、ここに、飛行場があった痕跡。美しい浦戸湾を見渡せるこの場所に、水上飛行機の飛行場がつくられたがは昭和8年頃。高知新聞社さん、全国の地方紙にさきがけ、空の時代を先取りし、真っ先に航空部なるものをつくり、海軍がら2機の水上飛行機を払い下げてもろうて、この場所を基地にしたのでありました。地方紙では全国初。なかなかやります、高知新聞。

色んな検討がなされ、最初、陸軍の飛行機を払い下げてもらい、朝倉の練兵場に飛行場をつくることも考えられたが、狭いので無理、ということになり、結局、ここを基地にして水上飛行機を飛ばすことになった訳ですね。

この写真右手、海岸沿いには、四角い土地が造成され、格納庫が建設されました。飛行機の格納庫と言うたち、どんなもんをつくって、どうやって格納したもんか、誰も知らない。で、とにかく、海軍払い下げの飛行機がやってきてから、格納庫を作ろう、てな、なかなか楽しい計画やったにかありません。

飛行機を海から吊り上げて格納する訳で、それには大きな支柱が必要。しかし、そんな巨大な鉄材はない。と、いうことで、県内政財界の重鎮の世話で、魚梁瀬から檜の巨木を探し出してきて支柱にしました。その折衝をやった高知新聞OBが、後世、こんなことを語っちょります。
「なんのことはない。飛行機代より一本の支柱の方が高くついた。」

そんな楽しいことをやりゆう間、海軍さんが操縦して持ってた飛行機は、格納庫が完成するまで、海に係留されちょったというお話。

さて。
あの、海上の柱。あれは、水上飛行機を係留しちょく為の柱やったと思われます。と、すれば、格納庫が建設されるまでの間、あの支柱に飛行機をつないじょったのか。
この飛行場は、その後、高知新聞の飛行機だけぢゃあのうて、軍用機、そして、大日本航空株式会社の、高知〜大阪の定期旅客空路の基地にもなったそうです。飛行機は、ここをスタートし、向こうに見える玉島の右側の水域に向けて発進していったそうです。左側は船が多いですきんねえ。

写真の支柱。そういった、ここから飛び立つ様々な飛行機を、繋ぎ止めてきた支柱かも知れません。


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