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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

松尾富功禄さんの功績〔3667〕2013/04/30

松尾富功禄さんの功績

2013年4月30日(火)曇り

以前、土佐山田の名士で、私財を投じて大規模なサイフォンをつくり、鏡野に水を引くことに成功した松尾富功禄(まつおほくろく)さんのことを書きました。あのサイフォンは、甫喜ヶ峰疎水の開通によって吉野川水系の穴内川から引いて来た用水を、深く広い谷を越えて山田、鏡野の台地に通すもので、現在も稼動する、すごいもの。昨年10月11日のにっこりでご紹介しちょりますき、ぜひ、お読みになってみてください。

で、その松尾富功禄さん。その他にも、なかなかすごい功績をあげちょります。山田、八王子さんの東側斜面に、その頌徳碑がありまして、そこに業績が刻まれちょりました。
ちくと、ひまわり太郎文責にて、読み下してみます。

松尾富功禄翁は、篤実、仁和の君子である。その至誠は、郷党の模範となり、町民の上に立って実に30年。その治績は実に大きい。
すなわち。
殖産興業に専念し、香我美橋を架橋したり、永小作権を擁護したり、甫喜ヶ峰疎水を引用して鏡野川を通し、100hrの荒地を美田に変えた上に地域の衛生環境の向上や防火にも役立てた。
松尾翁は、更に、四国縦貫鉄道の促進を唱え、土讃線の開通に貢献した。特に、本線の、土佐山田町を通過して後免駅につながる区間の建設は、もっぱら、松尾翁の功績である。
松尾翁は、政界にも入り、後、推されて政友会高知県支部長となり、県会議長、高知市長を歴任し、今に名を残す。
松尾翁は、文久3年、土佐山田に生まれ、昭和5年に亡くなった。その身を農から起こし、一代の心血を郷土の発展に注ぎこみ、山田の野中兼山として敬われている。
嗚呼、仁者死して、栄えあり。
その遺徳が溢れ、顕彰しよう、という声がわき上がった。そこで、有志が相談し、ここに、農地改革を機会として、全町民による追慕、頌徳の真心によって碑を建て、松尾翁の仁徳を末永く伝えるものとする。

昭和23年2月26日

当時の山田町長等によって建立されちょります。
顕彰碑ですき、かなり褒めちぎっちゅうのは当然ですが、やはりなかなかの功績を残した大人物であったようです。
自由民権運動研究の第一人者、公文豪さんが、先日、「土佐の自由民権」という史蹟ガイドを上梓されました。その中に、松尾富功禄さんのことが描かれちょります。
役場の職員となり、香美郡長が自由民権運動家の金子宅利であったこともあって、松尾富功禄さんが自由懇親会発起人になるなどの活動を始めたそうです。しかし、明治16年からの民権派大粛正で郡長が更迭、帝政派の郡長に変わったので役場を辞職。で、郵便局長を経て、県会議員になりました。県会議長や高知市長を歴任したがは、上に書いた通り。
で、上の碑文にも少しでてきますが、永小作権の問題に関しては、獅子奮迅の働きをされました。「農民救済の神」とまで呼ばれたようです。

松尾サイフォンといい、永小作権の問題解決といい、農民のために、身体を張って尽力した自由民権運動の闘志でもあった訳です。

そんなことを知らず、小生、この碑の真ん前で、お弁当を広げて、酪農婦人部の皆さんとお花見をしたがは一昨年の春やったでしょうか。そんな偉い人物の顕彰碑の前とは全然知らず。ゴメンナサイ!
篤実、仁和の君子である松尾さんですき、許いてくれるとは思いますが。


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