高松駅の半世紀〔8372〕2026/03/18
2026年3月18日(水)薄曇り
桜が咲き始めた高知を後にして、今日は高松。午前中、車でやって来ました。ここは高松駅前。
この高松駅界隈も、随分と様変わりしましたねー。瀬戸大橋ができる前の高松駅界隈からは創造もできない変わりよう。
現在立っているのがこの十字の場所で、瀬戸大橋前はこんな風景。この目の前、今ホテルがある場所に、まるで市役所かなにかのような厳つい建物がありました。高松駅。宇高連絡船が発着する高松駅は、文字通り四国の玄関口で、国鉄四国総局の本部もその建物にあったと記憶します。国鉄が役所のような組織だった時代、いかにも役所のような建物だった、高松駅。
その駅舎の南西に行き止まりになったホーム。ホームがあった場所は、現在の航空写真と見比べてみると、現在の高松駅正面玄関前あたりだったことがわかります。
肝心の、連絡船が着岸していた岸壁はその北側。現サンポートの南側くらいでしょうか。急行あしずりで高松駅に降り立った僕は、連絡橋のようなところを走って宇高連絡船へ。そのまま甲板まで駆け上がり、うどん屋さんに並ぶのがルーティンでした。
うどん屋さんは、出港と同時にオープンします。僕はいつも迷わず天ぷらうどん。確か、丼は、使い捨てのふにゃふにゃのやつだったと記憶するけど、どうだったでしょうか。
甲板の椅子に腰掛けてうどんを食べたら、海風に当たりながら、瀬戸内海の島々を眺めながら、甲板でしばし休息。しかしあまりゆっくりはできない。宇野港が近づいてきたら、船の出口に並ばんといけません。混んでる時期だと、うどん食べてすぐに並びに行ったことも、あります。で、宇野港に着くと、高松駅と同じように走って岡山行きの快速に乗るのでした。
僕ら世代の高知県人、四国島民にとってはお馴染みの風景。愛媛県人も高知県人も、そして徳島県人も同じような経験をしており、同じような記憶を懐かしがっていると思います。
まさに、四国の玄関口。今は、瀬戸内海に橋が3本架かり、四国と本州の交通も分散しています。高速バスもあるしね。
当時は、船以外での公共交通は、国鉄しか無い時代。船以外で四国から本州へ渡ろうとする旅客は、愛媛県人も徳島県人も、そして高知県人もすべて、ここで連絡船に乗り換えていた時代。
連絡船に走った記憶、甲板で食べたうどんの記憶は、四国島民すべてに共通する記憶。
2021年にOHKが制作した、高松駅1981年~2021年という番組をYouTubeで見て、そんな記憶が蘇ってきたのでした。しかし、2021年からの5年でも、ものすごく変わったよね、高松駅周辺。
