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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

第二十三突撃隊本部〔3956〕2014/02/13

第二十三突撃隊本部

2014年2月13日(木)薄曇り

今朝は、須崎へ行っちょりました。須崎市。少し早めに会社を出て、ここを撮影してきました。須崎の町から、野見湾沿いを通って野見へと向かう道の途中から、右手の折れて海の方へと下って行く途中。道路沿いの山壁に、大きな穴が3つあります。これは、戦争の痕跡。

道端に立てられちゅう説明板を転載してみます。以下転載。

第二十三嵐部隊(第二十三突撃隊)須崎基地跡
洞穴 東(弾薬室) 中(送電原室) 西(送信所)

太平洋戦争の末期、1943年(昭和18年)4月、日本海軍軍令部は、戦局の劣勢を挽回する秘策として兵器の開発を緊急要請し、その四番目が船外機付衝撃艇「震洋」と六番目が人間魚雷「回天」といわれている。
土佐湾には、呉鎮守府第八特攻戦隊(八特隊)第二十三嵐部隊が須崎基地に配備された。
須崎基地は、1945年(昭和20年)4月20日に開隊し、箕越に第二十三突撃隊の本部が置かれ、野見、宇佐、浦戸、手結に基地を配備したが、第二十三突撃隊は出撃することなく8月15日の終戦を迎えた。
船外機付衝撃艇「震洋」
ベニヤ板で作られたモーターボートの船首に250キロ爆薬を装備した1人乗りと2人乗りの特攻艇
人間魚雷「回天」
頭部に約1600キロの爆薬を装備し、潜水艇に搭載されて敵艦に接近、母艦を離れて体当たりする友人魚雷

以上転載。
この写真は、その中に、送電源室の跡。この山に壕を掘って本部とし、県内各所の基地に指令を送っておった基地の痕跡。
思い出すのは、手結住吉の、昭和20年8月16日の事件。詳しくは、過去のにっこりを読んで頂ければ有り難いですが、戦争は終わったというのに、謎の出撃命令によって住吉の震洋部隊が出撃準備中、燃料に引火、大爆発をおこして111名の尊い命が奪われた、という悲劇。

夜須町史から、その日の記述を見てみますと。8月16日。震洋隊須崎本部から「敵機動部隊本土上陸の目的をもって土佐沖航行中につき、ただちに出撃準備をせよ」との無線命令が、手結震洋隊に入ったのは午後のことでした。
総がかりで艇を壕から引き出し、海岸に並べてエンジンの調整にかかったところ、そのうち一隻がガソリンに引火して燃え上がりました。隊員たちが消化中、燃料タンクが過熱して爆発。誘爆を心配した隊長は、全員に避難命令を出しました。約15分後。火勢も衰えたということで再び配置につき、事故艇を海上に押し出して投棄しようとした時、突然艦首の火薬が爆発、これが起爆剤となって付近の艇やドラム缶が爆発炎上した、ということです。

事故後の現場の悲惨さは、地獄のようであったと言います。地元の、片付けに参加された方は、「氏名を確認できたのは、上半身だけが松のこずえに引っかかった人のみ」と話されたそうです。

この記録にある、震洋隊須崎本部というのが、この場所。この命令を下したのは誰か。一説には、上部組織である呉鎮守府からの指令であった、とも言われます。が、謎に包まれたまま。


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