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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

長宗我部氏が本拠を移した理由(妄想)〔3966〕2014/02/23

長宗我部氏が本拠を移した理由(妄想)

2014年2月23日(日)快晴!

今日は高知。昨日、大分から車でモンて来まして、宴会2つに出席、帰ったのは夜中というハードなスケジュールをこなしております。人生体力勝負ですき。

さて。昨日ご紹介した、豊後、戸次川の戦いから遡ること26年。永禄3年(1560年)5月、若き長宗我部元親くんは、父親の国親さんにと一緒にこの浦戸湾を西へ渡り、浦戸湾から西側を勢力圏におさめちょった本山氏に攻め込みました。長浜、戸の本の合戦。これが、まあ、真相は諸説ありますが、通説では元親初陣とされちょります。

写真は、中の島のトン先から、南に広がる浦戸湾を眺めた写真。造船所のクレーンが見える所の向こう、種崎から西岸の長浜へとこっそり渡り、夜襲をかけて城を奪いました。朝倉の本山氏本陣からの救援軍が駆けつけ、長宗我部軍と交戦したという戸の本の戦い。

それから26年後、四国を制覇するも秀吉に攻められて土佐一国の主となっちょった元親さんが、豊後、戸次川で仙石秀久のせいで敗北、嫡男の信親くんを亡くしてしもうた訳です。

その2年後、天正16年(1588年)、元親さんは、本拠を、南国市の岡豊にあった岡豊山から、現在高知城がある大高坂山に移しました。
そして、その3年後の天正19年、今度は浦戸にお城を築き、本拠にした、とされます。

この写真のとっと向こう、突き当たりの山が、浦戸城があった山。浦戸を本拠にした理由は、大高坂山の下に広がる平野が湿地帯で、河に挟まれで洪水の被害が絶えなかったから、と言われちょりますが、近年では、浦戸は朝鮮出兵のための基地であり、ホントはやっぱり大高坂を本拠にするつもりであった、とも言われます。

さて。
こないだうち、「日本史の謎は地形で解ける」という本を読んで考えました。
この、本拠の移転には、もっと別の、やむにやまれぬ理由があったのではないか。つまり、岡豊山を本拠とすることに不都合ができた理由。
元々、大高坂山界隈は湿地帯で水はけが悪い。住むには適していない土地。岡豊山の東側は、古くから開けた農地が広がり、また、十分な居住空間もある。何より、山裾を流れる国分川が、浦戸湾を経由して太平洋に通じ、交通や流通の面からも優れた場所でありました。そこから、わざわざ湿地帯に本拠を移す理由とは。

まず、岡豊界隈に、なんらかの異変が起きて、居城とするには不都合ができた、という説を考えてみましょう。例えば。
国分川の流路や水量に、圧倒的な変化があったとか。その頃、社会生活が色々と変化し、山の樹々の伐採も進んだかも知れません。それにより、水量に変化が生じたという仮説。それに加え、灌漑が進み、都市人口が増えるに従い、国分川からの取水が増えて流量が減り、岡豊城の下では、うまく物流が機能しなくなった、という妄想。
で、内海で静かな浦戸湾沿いの、小高い山、大高坂山に眼をつけ、そこに本拠を移して城下町を建設しょうとした、というのはいかがでしょうか。

その後。治水で苦労したので浦戸へ移った、という通説を考えてみましょう。もし、治水で苦労したとしても、岡豊へ戻れば良かっただけの話なのに、それを、あの狭い城下町しかつくれないせんばい浦戸に本拠を移したのは、やはり、朝鮮出兵に備えたのでありましょうか。
ここで考えんといかんのは、朝鮮出兵から帰って来ても、浦戸を本拠にし続けた、という事実。さあ、これをどう読み解くか。

やはり、元親さんが本拠として一番ふさわしいと考えたのは、大高坂山やったのではないでしょうか。岡豊山周辺でダメになった理由は、上に書いたように、激変した自然環境が要因であったのではないか。そうでないと、無理矢理移る意味がないし、朝鮮出兵後、本拠を岡豊に戻しても何の不都合もなかったと思われます。
どうしても岡豊に戻れない現実的で切実な、なんらかの理由があったとしか考えられない、という私の妄想。

しかし、長宗我部の技術では、なかなか大高坂界隈の治水は難航。最新の技術を導入して、立派な城下町をゆくゆくは建設しょうと思いゆう間に、元親さんも亡くなり、盛親くんが関ヶ原で破れ、当時の大名の中でも治水や土木工事に関しては有数の技術をもつ山内氏が土佐にやって来て、無事、治めるようになった、ということかも知れません。

妄想ついでに。
家康は、利根川の流れを東に変えて銚子に流れ出るようにしたり、日比谷入り江を埋め立てて大名の居住エリアを構築したりと、当時の大名の中では傑出した土木プランナーであったとされます。その家康が、土佐の大名として山内氏を選んだのは、湿地帯に城を築く必要のある土佐を治める土木技術があるのは山内氏である、と喝破しておったきかも知れません。

ああ、妄想が暴走する日曜日の昼下がり。今日書いた話には、何の根拠もありません。単なる妄想遊びなので、「それは絶対に違う」と思われちゅう方も多いとは思いますが、あたたかい心でお許し頂ければ幸甚です。日曜日の午後。のったりまったりビールを飲みよったら、妄想が暴走するする。


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