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板垣退助先生邸址、水の都、高知〔4182〕2014/09/27

板垣退助先生邸址、水の都、高知

2014年9月27日(土)晴れ

今朝、少しだけ時間があったので、桟橋方面に走りに出ちょりました。鏡川大橋南詰から、鏡川の土手沿い、浦戸湾沿いに港方面へ。
皆さんご承知の通り、東洋電化さんの大きい工場の壁に沿うて、板垣退助先生邸址、と刻まれた大きな碑が屹立しちょります。そう。浦戸湾沿いの、のちには浦戸湾十景にも選ばれた風光明媚な場所に、板垣退助さんは、土佐での居宅を構えました。
もちろん生まれたのは、大橋通の南の、現在の高野寺さんがある場所。で、幕末、戊辰戦争と活躍し、明治政府の重鎮、参議となって国政に関与。土佐を代表する政治家として活躍し始めるも、征韓論に破れて政権を離脱、土佐へ戻り、その後、自由民権運動を起こして行ったのはご承知の通り。

立志社を創建したのは、現在の東九反田公園のある場所。後に、新京橋のところに移転。そして自宅は浦戸湾沿いの、この場所。
碑の台座の上に立って、浦戸湾、丸山台の方角を撮影してみました。台風10号の高潮被害の後、浦戸湾は高い堤防で取り囲まれることになてしまい、今は、その碑のところから海は見えません。

しかし、台座に立つと、見えました。向こうに見えるのが丸山台。
明治16年、板垣退助は、外遊からモンて来ました。丁度、板垣が主導する自由民権運動が盛んな時期。で、8月29日、土佐へ帰ってきて、土佐人の大歓迎を受けました。
丸山台近くの堤防に、帰朝記念碑というのが建てられちょりますので、その文面を転載してみましょう。
以下転載。

明治十六年八月二十九日板垣先生外遊より帰朝、浦戸丸にて帰高するや、自由党員三十余名船上より歓迎、万歳を叫び、祝砲煙火数十発を打ち上げ、先生の船を囲みて丸山台此君亭に休憩す。島田糺、同志を代表して歓迎の辞を述べ、先生これに応へて楼上の祝宴に臨む。翌日同志再び先生を同所に迎へて盛宴を張る。先生曰く「今や我が自由党の名は欧米諸邦にも遍し」と。満堂感銘せざるなし。後、有志碑を建て、永く先生の帰朝を記念すといふ。

以上転載。
往時の風景が鮮やかに蘇ってくる、名文。
帰って来た日も、その翌日も、あの丸山台にて歓迎のお客を続けた、というのが、いかにも土佐人らしいですな。
このように、丸山台と退助さんちは、目と鼻の先。
その歓迎の宴からは、この家に舟でモンたでしょうか。それとも、それこそ目と鼻の先の稲荷新地へ二次会に出かけたでしょうか。そしてそこから、また、舟に乗ってここへモンて来たでしょうか。

丸山台、稲荷新地から堀川を遡れば、立志社。城下の中心地。
今は、工場などがあるので見えませんが、当時は潮江新田は田んぼばかりなので、この家から、たぶん高知城まで見えたことでしょう。で、高知の市内を、退助さんちから行き来するには、専ら舟が利用されたことでしょう。陸路、途中で鏡川を渡ったりすると、ちょっと不便なこの邸の場所。しかし、舟を主たる交通手段と考えたとき、静かで、風光明媚で、どこへいくにも舟でしゅっと、という立地は、最高やったのではないでしょうか。

高知の城下は水の都。どこへ行くにも舟が便利。それを理解せんと、藩政期から明治の、城下の街のことはわかりません。今一度、堤防の上に出て、かつての風景を体感してみると、往時の人々の気持ちが共有できるかも知れません。


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