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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

潮江の南海地震と先人の戒め〔4398〕2015/05/01

潮江の南海地震と先人の戒め

2015年5月1日(金)晴れ!

五月。皐月。爽やかな朝。空には初夏の青空が広がる高知。気持ち良い朝になりました。

こんな冊子ができました。
「昭和南海地震の記録 〜潮江地区を中心として〜」
これは、高知市の潮江地区で農業を営んでおられた野崎貞美さんという方が、昭和21年に発生した昭和南海地震と、その後の様子を日記にしたためたものを、昭和36年になって、ご自身でまとめられたもの。もちろん公表するつもりもなく、ご家族のためにまとめたものと思われますが、それを、この度、貞美さんのご子息、野崎英夫さんのご理解を得て、生活創造工房の大野加江さんが、冊子にして下さったのであります。パチパチパチ〜!

震災当時の写真や、昔の地図などもたくさん掲載されちょりまして、見事な震災記録となっちょります。大野さんも「はじめに」で書かれておられるように、まさに昭和の「真覚寺日記」。

野崎さんは、まだ、潮江地区が一面農地で、家もほとんど無かった時代から、農業を営んでおられました。実は、その後、乳牛を飼育するようになり、弊社にも生乳を納入してくださった酪農家さんでもあります。ご子息の英夫さんには、小生がちんまい時分から可愛がって貰いました。南与力町に工場があり、野崎さんは、毎日生乳を入れた二斗缶を運んできてくれよりました。小生の家族は工場住み込みやったので、それこそ毎日可愛がって頂いた、という訳です。

生活創造工房の大野さんは、潮江地区の歴史を色々と調べる中で、野崎英夫さん宅に於いてお父様の日記を見せて貰い、これは貴重なものだ、と考えられて、皆が利用できるような冊子に取りまとめられたのであります。すごい。ありがとうございます。

この日記を読むと、比較的規模が小さかったとされる昭和の南海地震でも、潮江地区は完全に海になていた様子がよく解ります。
地震が起きたのは、昭和21年12月21日未明。揺れの激しさ、恐ろしさは尋常ではなかった、という記載があり、市内の被災状況が書かれちょります。「高見山の岩石は幸い転落したものは一つもなかった。」というのが興味深い。高見山の岩石は、三宝山帯のチャートで、根が生えちゅうがが多いきでしょうかね。
それはともかく、その地震の朝、土木委員から通知があって、孕の水門を閉めに行くようにとのこと。行ってみると、堤のあちこちに地割れが出来、大きくなってきて、海水が浸入を始めて対処の仕様がない、という状況でした。これは中堤で食い止めるしかない、ということで中堤まで行ってみるも、そこも大変な被害で、結局その日は諦めた、と書かれちょります。

潮の干満は、地震によって狂ってしまい、潮汐表が全然役に立たんなったそうですね。で、海水は、どんどんと潮江地区に流れ込んで、一面の海となりました。

それから、復旧作業の毎日。人力で、土嚢をつくったり運んだり。とてつもない苦労がしのばれる日記となっちょります。
大晦日、12月31日に、中堤の決壊箇所を、農家総出で補修する作業をすることになりました。地区民全員が力を合わせ、潮が引いた短い時間に準備しておいた資材を投入、決壊箇所を防ぐことに成功した、という記述には喜びが溢れております。「現場へ農業会から送られた特別配給の酒とスルメで祝杯をあげた。」とあります。

この日記では、土嚢をつくったのは天満宮の裏、となっちょります。潮江天満宮の裏手で土嚢づくりをしておったと。どの辺りなのか、気になるところです。今度、調べてみましょう。

住民総出で、堤の補修作業などをしてから、1月20日、竹島にあった排水機の運転を始めました。日記によりますれば、大正15年に潮江村が高知市に合併された際、高見の住民が合併条件として出したのが、その排水機。ポンプ。で、潮江地区南部の全地主、全耕作者で耕地整理組合を組織して、合併数年後に完成したそうです。
そのポンプが威力を発揮し、その後、どんどんと水が引き始め、農地が回復。塩害に強い作物の作付けも始まっちょります。農家の強さ、たくましさがわかりますね。

この日記で、現在の宇津野トンネル、下り線の狭い方の宇津野トンネルは、南海地震災害復旧事業で掘られたことがわかります。それまでは、孕半島の外側の海沿いを廻る道がメインルートであった訳ですが、地盤沈下で、満潮時に通行危険、となったので、急いでトンネルを抜いた訳だ。なるほど。

昭和36年に、ご自分が書いた日記をまとめられた際、地震災害を未然に防ぐ心構えをいくつか書いて後世への戒めとし、その結びに、実に含蓄のある文章を書かれております。以下転載。

今後も工場と住宅は増加する一方で農地は次第に縮小せられる。今後七、八十年先を想像すれば潮江の土地は全部市街地となって発展するであろう。社会の情勢の動きに依っては或は一部分田が残るかも知れない。
願わくば、今後世界中の平和が永く続いて、家庭も健全で平和で社会の多くの人々と共に進む文化の恩恵に浴し勤勉と努力を続けながら、自他共に物心両面において、より豊かなより高度の生活が出来る様に祈るものである。

昭和36年8月15日
高知市北高見町
野崎貞美


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