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昔の風景と今の風景〔5108〕2017/04/10

昔の風景と今の風景

2017年4月10日(月)曇ってます

今朝は高知。昨日、モンて来ました。高知へ帰ると、春爛漫。桜満開で、あちこち、お花見客で賑わっていること。桜の下を歩く人々は、皆、柔らかい春のような表情で、僕も自然にニヤニヤしてくる。そんな春の日曜日。
堀川沿いでは、たくさんのグループがシートを広げて飲んだり食べたり騒いだり。なんか、昔よりも、飲んで暴れて迷惑かける、みたいな風景、減った気がします。
人類、酒癖が良くなったのでしょうか。少なくとも日本人は、オオヤケの場で酒飲んで暴れる人、減ったという、印象。

そうそう。かつて、東京の上野公園とかでは、飲んで騒いで暴れる日本人が多いのに、外国から来た人がビックリしていた、という話を読んだことがある。そんな証拠写真も残ってます。
今は、お花見マナーも、随分と向上したと思います。
昔の日本人は素晴らしかった、戦前教育を受けた日本人は道徳的に優れていた、という考え方を、歴史学では「ユートピア思想」と呼ぶ。

話は変わります。すっぽん。
こないだブラタモリを観てましたら、京都、清水寺界隈のことをやってました。断層と、開削谷によってできた特異な地形が故に、あの清水の舞台が登場することになった、という話。そして、尾根の上を京の町へと下っていく参道。
そう。幾度も、このにっこりでは書いてきたように、尾根というのは傾斜がなだらかで、昔から、道がつくられてきました。山師が山中を歩くときも、基本、尾根を歩く。春の雪山では、谷道は雪崩の危険性が高いので、危険の少ない尾根を歩く。

古来、尾根道は主要幹線が通り、江戸の町では大名屋敷が並び、大坂では寺町が形成されました。
高知の城下では。
かつて浦戸湾の底だった高知の城下は、平坦。平べったい。平べったいですが、古代から中世にかけて、湿地帯から、潮江川(鏡川)と大川(江ノ口川)に挟まれた砂州が成長してくる。その過程で、そこに町が形成され、今のような風景になってくる。

川に挟まれた砂州は、当然、真ん中あたりが一番高く盛り上がっています。そこは、尾根と言えましょう。
山内の殿様が城下町をつくっていく際、お城の追手門からまっすぐ東へ延びる道をつくり、そこを幹線道としたのは、そこが尾根だったから。尾根道を幹線とし、その道沿いに有力家臣の屋敷を並べた。それが、一豊さんの都市計画だったと思います。

今、なんとなく、幹線はこの電車通りだと思ってしまいますが、かつてはそうではなかった。
幹線は、追手筋を東進し、蓮池町で北に曲がって山田橋へ、というルート。
この写真は、宝永町の電停から東方向を撮影したものだが、だいたいからして、こっから東、つまり宝永堤から東は人も住んでなかった場所。
電車通りが、なんとなくメインストリートになってきたのは、やはり、電車が走ってから。この写真の道は、電車が通るまではなかった道。桟橋通りも、この宝永町から知寄町の電車通りも、明治末期に電車が通るまでは、こんな直線道路は存在しない田んぼの風景。

今、なんとなく想像する昔のことと、実際の昔のことは、全然違っていたりする。ビックリするほど、違っていたりするので、本当のことを知るために勉強することは、大切だ。


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