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穴内に残る縄文〔5554〕2018/06/30

穴内に残る縄文

2018年6月30日(土)降ったり照ったり

ガイに降ったり照ったり。JR土讃線は基準雨量を超えたので土佐山田と大歩危の間が止まってます。なのに、関東甲信地方、梅雨明けしたんだって?

高知はまだやのに、ケシカラン。そんな梅雨明け前の不安定なお天気の中、昨夜は安芸市に泊まってました。会社からは車で30分ちょっと。高知市内からでも1時間かからずに行けるし、ごめんなはり線が通っているので、普通なら泊まる必要もなさそうな距離にある、安芸市。

でも、JA土佐あき酪農部の宴会があると、泊まらん訳にはまいらん。皆、仲良くて元気なので、2次会が終了するのは午前零時を回ってしまう、高知県東部の酪農家さんたちの習性は好ましく、途中で抜けて帰る訳にはいかんので、やはり泊まるしかないのでありました。

 

今朝は、会社へ帰る途中、穴内の海岸段丘の上を通ってみました。ごめんなはり線、穴内駅の北側。国虎うどんの北側、と言うた方が判りよいか。海岸沿いの国道を通ってますと、そんな場所に細長い台地があって集落が連なっているとは思いません。でも、そちらの方が、昔の街道だったんだと思います。海岸段丘。この航空写真で、十字の場所が国虎うどん。その北の山の上に広い畑地と集落。この場所の標高は60mあり、向こうに太平洋が見える。かつて、浅海底で堆積した土砂による台地。それが隆起して、こんな高さの更新世段丘になった訳だ。

 

この地区の名は、穴内。あなない。

こないだ読んだ本に「縄文の思想」という新書があります。最新のDNA解析なども織り込みながら、縄文人の思想、痕跡が今につながっている様子を解き明かしていく。

かつて日本列島全域に居住していた縄文人が、朝鮮半島などから渡ってくる渡来人と混血を繰り返しながら弥生人になり、現代日本人となる。しかし、北海道や琉球には、縄文人のDNAが色濃く残り、アイヌや琉球人になってゆく。そしてその縄文の思想、習俗を持った人々は、船で列島の海岸を走り回り、海民としての文化を形成していきました。

そしてその本には、東北北部や北海道に多い「nai」のつく地名が、関東地方とかには無いけど沖縄や高知県にあるのは、アイヌの、延いては縄文の言葉が海民によって残されているのではないか、と書いてあるんですね。

 

具体的に高知県の「nai」のつく地名を書いている訳ではないけど、まず思いつくのが、穴内。あなない。アイヌ語で「nai」は、川。

この海岸段丘にある集落の地名は、遠く縄文の言葉が残されたものなのか。

そういえば、我らが寺田寅彦先生が、昭和4年に書いた随筆に「土佐の地名」というのがあります。土佐の地名を、アイヌ語や東南アジアの言葉に対比させようとしたもので、かなり無理無理感満載ですが、先生本人も「要するにこじつけであって、ただある一つの可能性を示唆し、いわゆる作業仮説としての用をなすものに過ぎない。」と書いてます。

で、その中から面白いと思った対比を少しだけ抜き出してみると。

 

比島  「ピ」は小の義、「シュマ」は石

夜須  「ヤシ」網を引く

野見  「ヌムイ」豊漁の海

加江  「カエ」は岩の割れ目

 

などなど。そして。

川を表す「nai」のつく地名として、穴内と咥内をあげてます。

咥内  「カウンナイ」は、係蹄をかけて鹿を捕る沢

 

石狩にも「咥内」という地名があるそうなので、関連はありそうですね。咥内は、うちの会社のすぐ西北。

 

「土佐は、門狭で、狭い海峡を入っていく国、という説があるけれども、アイヌ語で「ツサ」は袖の義である。土佐の海岸どこに立ってみても東西に陸地が両袖を広げたようになっているから、この附会は附会として興味がある」とも書いてますな。

 

 

四万十  「シ」甚だ。「マムタ」美しき。

これ、なかなか良い解釈ですな。寺田寅彦さんは、こんなことにまで思いを巡らしていました。


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