この地に百四十一年学校があった〔5588〕2018/08/03
2018年8月3日(金)晴れ!
この地に百四十一年学校があった
7月24日に開館した図書館オーテピア。この場所には、明治4年から平成25年まで、学校がありました。成章学舎として始まり明治5年の学制施行で高知街連合公立小学校。追手筋小学校、第三尋常小学校、第三国民学校、追手前小学校と名前を変えながら。
僕が卒業したのは、昭和49年か。1974年なので、もうかれこれ44年。そんなになるのか。
この写真の場所は、北門があった辺りでしょうか。僕らは西門を使ってたので、あまり通らなかった北門。
在学中の昭和47年、西門を入ったところに、創立百年の記念碑が建った。「至純至誠」と刻まれた、碑。その前を通り過ぎると渡り廊下と下駄箱。そこを抜けたら運動場で、左側の校舎が鉄筋コンクリートの三階建て。そして更に東進すると、その鉄筋コンクリートの校舎に繋がって木造二階建ての古い校舎がありました。丁度、その境目の辺りだったでしょうか。ソテツの樹が植わっていた。
昭和20年7月4日の高知大空襲で第三国民学校が焼けた際に一緒に焼けてしまったソテツ。焼け跡から奇跡のように芽を吹き、復活し、大きく育ったことから、戦後復興のシンボルとなったソテツが、そこにありました。
校歌にも「残るソテツの 逞しく」と謳われたソテツは、文集の名前にもなり、追手前小学校とともに、あった。
僕が卒業した後の昭和53年、その木造校舎は火事で焼けてしまいました。昭和55年、木造校舎があった場所に新校舎完成、翌年、新校舎落成記念式典に合わせてソテツ記念碑が建てられることになる。ソテツは、新校舎の東側。この写真の、新校舎の東側の緑が、移設されたソテツ。
そして平成25年3月に、閉校となった追手前小学校。
校舎は取り壊され、その間、ソテツは邪魔にならん場所に避難させられてました。プレハブの仮設市民図書館ができると、ソテツはその南に移設。
平成30年7月、オーテピア完成で、ソテツは、この写真の場所に移設され、上に書いてきた創立百年の「至純至誠」碑や、ソテツ記念碑と一緒にここに並べられることになりました。今朝4:44に撮影したこの写真には、その長い長い歴史が写っています。
大空襲の戦火から復活し、追手前小学校のすべてを見てきたソテツ。
波乱万丈の移設を繰り返しながら、この場所に落ち着きました。
大きな石に、追手前小学校の歴史や校歌が記されたプレートが取り付けられ、その上には、こう刻まれています。
この地に百四十一年学校があった