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南海道の位置〔5721〕2018/12/14

南海道の位置

2018年12月14日(金)薄曇り

今日は12月14日だけど、赤穂浪士はやりません。今朝の新聞に、弊社近くの、実に興味深い記事が載ってたので。野市の、高田遺跡。

いつもご紹介する、野市、上岡八幡宮さんから東方600mくらいでしょうか。高知東自動車道の工事に先立ち埋蔵文化財センターが発掘調査してた場所。そこから、幅10mほどの直線道路の遺構が出てきたという訳だ。おう。南海道か。

以前、士島田遺跡で古代の官道の跡ではないか、と思われる直線道路の跡が発見された、という話、書きました。今から10年前のこと。あの遺跡、今は祈年遺跡と呼ばれてます。

 

その官道と思われる道は、国分寺からまっすぐ南へ走る直線道路。正確に言えば、たぶん、東へ13度だけ振れた「香長条里」に合致する方角。隋唐の文化を吸収し、国際社会での認知度を高めていきたかった当時の政権は、隋唐の制度をそっくり移入するところから始まった。なので、騎馬民族政権であった隋唐に見習ってズボンのようなものを穿いた官服を身につけ、律令制度を整備し、広い直線の道路を建設していった。

 

祈年遺跡から南へ延びた官道は、たぶん、若宮ノ東遺跡あたりで東西の道と交差していたんではないか。直角に左折すると、うちの会社のちょっと北側を通っていたことになります。でも、そんな遺跡はまだ出てない。

で、弊社の物部川の対岸には下ノ坪遺跡という、古代の役所や川湊の遺構が出てるんですな。

しかし今回の南海道らしき遺構。直線の方向は香長条里そのまま。でも、上の遺跡とかで想定されていた南海道の位置よりは随分と南。これはどういうことだろう。

 

たぶん。どこかで物部川を渡る。渡るのは、当然、渡りやすい場所が良い。なので、無理やり直線でつくった道が物部川に突き当たると、右岸を川沿いに南下し、下ノ坪辺りに渡って左岸を南下、そして東へ向かってまた直線道路にした。そんなストーリーが妄想できます。妄想です。

でもそうなら、弊社は、そんな南海道の上にあるのかも知れませんね。いや、妄想です。そもそも、その頃の物部川の流路がわからんので。

 

新聞にも書いてたけど、こういった現代の高速道路と、古代の道のルートが合致すること、よくあります。どちらも、地形などをある程度無視して最短の合理的ルートを通ろうとしているからだと、僕は思います。高知自動車道と北山越えも、そう。

この南海道は、どっからどこまでこんな直線だったんだろうか。南海道はそもそも伊予周りの遠い遠い道だった。718年に徳島周りとなり、796年には北山越えになる。だから、この南海道が使われたのは、8世紀のこと。せっかくの立派なインフラも、その後、廃れてしまったのか。この、河川や湿地が多い日本の国土で、地形を無視した直線の道路を維持していくのは大変だったのかも知れません。

 

律令時代に整備された日本各地の直線道路は、いつしか、地形に沿った日本の国土に合わせた道に取って替わられる。騎馬民族国家、隋唐由来のズボンのような官服は、高温多湿の日本の気候に合った涼しい着物に取って替わられ、靴を脱いで家に上がり、ゴロリとできるようなスタイルになっていきました。

でも、律令時代の痕跡は、今も、どこかに残っているのかも知れません。

 

上岡八幡宮の南。高知東自動車道のすぐ南の土手には、昭和47年まで「物部の置松」という松の古木がありました。物部氏の神が、上岡山から香宗川上流の山川に遷座された際、旧地に残された松、とされてます。ひょっとしたら、太古の昔、南海道の横に植えられていた松なのかも知れない。

「アッピア街道の松」を思い出してしまった。直線道路の、松。


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