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通り抜ける汽車〔5746〕2019/01/08

通り抜ける汽車

2019年1月8日(火)薄曇り

このところ、朝起きてもそんなに冷やくない。今朝も、出勤時の車載の外気温計の表示は5℃。夜明け前にはもう少し冷えたでしょうけど、それでも、氷点下には遠いね。この季節、本当なら朝起きると氷点下、というのが当たり前なんですけどね。

これからの週間予報見ても、明日の最低気温は3℃、明後日は2℃、週末は5℃とか6℃とか。これはもう、1月の気温ではない。北の方では大雪になったりするみたいですが、高知は暖かい冬になってます。油断しちゃあいかんけど、今年の冬はこんな感じで推移するんだろうか。油断しちゃあ、いかんけど。

 

写真は今朝、6時半前の工場。本社棟2階から、工場を通り過ぎる土佐くろしお鉄道の始発列車を撮影してみました。暗い空に浮かび上がる汽車の灯りは、なんか、ネコのバスみたい。遠くに三宝山のシルエット。

 

年配の方にしてみると、この、食品工場の中を鉄道が走り抜けるというのはイメージが悪いらしい。土佐くろしお鉄道ごめんなはり線ができる遥か昔から、この工場は立っていて、用地買収によって、工場敷地の中を突っ切ることになりました。

うちの工場ができたのが昭和40年(1965年)で、ここの鉄道が開通したのが平成14年。

でも、この鉄道、最初に計画が持ち上がったのは昭和40年なんだって。国鉄の新線として。で、その年に安芸ー田野間が着工されている。ここを通る、後免ー安芸間が着工されたのは、なんと、昭和49年(1974年)のことだ。

 

上に書いたように、完成するのが平成14年(2002年)。恐ろしいことに着工から四半世紀以上かかりました。理由は、途中、国鉄再建特別措置法によって工事が中断されたから。

放置された工事途中の鉄道高架とかがあちこちに散見され、不思議なオブジェとなっていた、あの時代。物部川にも橋脚が立てられ、その橋脚の位置から、どう考えてもうちの工場の敷地を通ることにならざるを得んのに、何の話も、ない。そんな時代が長かった。

 

昭和も終わり頃になり、第3セクター方式で工事運営が再開されることが決まる。僕がこの工場で働き始めて間もない昭和63年に、工事は再開。でも、完成するまでには、それからまだ14年もかかってます。

 

食品工場の中を鉄道が通るのは、イメージが悪かった、と書きました。そう。昔の汽車は、客車のトイレの穴から地面が見えていた。排泄物はそのまんま地面に落ちて、風と共に去りぬ。去ればよいけど、なかなかね。僕らが子供の頃、駅に停車中とかには、トイレに行ってはならん、と言われてました。停車中にしでかしてしまうと、駅構内が大変なことになるからね。

いつしか貯留式のトイレが普及し、そんな惨事は、なくなりました。土讃線で貯留式が導入されたのは、特急南風が走るようになった1972年頃なのか。違うかも、知れません。各駅停車の車両も含め、全部が貯留式になったのは、もっと後の話だ。

 

阿佐線が計画通りに完成していたら。1970年代には完成していただろうから、なかなか微妙。工場の中を、そんな汽車に走られたらね。どうもね。ちょっとね。

だから、時代の流れの中で工事が中断され、遅れに遅れ、日本の鉄道車両のトイレが全部貯留式になっていた平成14年になって開通したのは、僕らにとっては僥倖だったのかも知れません。

 

今は、美しい鉄道が、弊社の、倉庫と倉庫の間の敷地を通り抜けていく風景に、なんの違和感もありません。

 

美しい朝。汽車の灯り。


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