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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

三菱、二菱、一菱〔5819〕2019/03/22

三菱、二菱、一菱

2019年3月22日(金)曇り

雨は上がり、気温も上昇。今朝の最低気温、いったい何℃なんでしょうか。10数℃だと思う。

今日あたり、山では色んな生き物が冬眠からすっかり目覚めて活動を始めるんではないだろうか。今までは、ちと、寝ぼけていたかも知れませんが。

僕は山を、とくに藪漕ぎを愛するおじさんだ。なので、結構、いつ頃ヘビが冬眠から目覚めるか、とか、気にしてます。

なんでも、一日の平均気温が10℃を超えると、ハミは冬眠から目覚めて活動を始めるらしい。

 

気象庁のHPで見てみよう。これが高知市の2月のデータ。これ見ると、2月後半から平均気温は10℃を超える。でも、低い日もあるし、10℃をそんなに超えてる訳でもないので、たぶんまだ寝惚けてると思う。そう、信じて藪漕いでますが、3月のこのデータを見るとそろそろスッキリ目覚めそうですな。気を付けよう。

 

閑話休題。

暖かい朝、出勤途上。午前3時半の土佐稲荷神社。

土佐稲荷神社というと、有名なのは、大阪、堀江の土佐稲荷神社さんね。地下鉄長堀駅から歩いてすぐ。元々、藩邸の近所に古いお宮さんがあった。第6代藩主山内豊隆さんが、そのお宮さんを尊崇し、蔵屋敷の敷地内に、京の伏見稲荷さんを勧請してきて始まったのが、その土佐稲荷神社。土佐藩、蔵屋敷の守護神という訳だ。明治になり、岩崎弥太郎が藩邸や蔵屋敷を譲り受けて三菱の母体を構築する。そして土佐稲荷さんも、その商売の守護神として崇敬されるようになったという話ね。

 

その土佐稲荷神社と関係ないかも知れんけど、ここ、土佐の常盤町にも鎮座まします土佐稲荷。実はそもそもの始まりは、こちらの方が古い。一豊公が、1616年に藩邸内で祀ったのが始まり。

藩政期後期、1833年に、この地に祀られるようになったという土佐稲荷神社。御祭神は稲荷五社大明神ね。明治の廃仏毀釈運動までは、稲荷大明神と呼ばれてたことは想像に難くない。

境内には二座の摂社。いや、三座か。

右が稲荷大明神の拝殿。その左、鳥居の左が磐根神社と玉柏大神。

一豊公のお父さん、盛豊さんが戦勝を祈願していたのが磐根神社。そして、盛豊さんが、必勝祈願で背中に差していた印が、玉柏の葉っぱ。戦に勝った後、3枚だけ残っていたので、それに因んで祀られたのが玉柏大神。

 

そう。山内家の家紋が三葉柏になった由来を語るエピソードにまつわる、お宮さんだ。

玉柏明神、磐根明神は、大阪の土佐稲荷神社さんにも祀られております。

山内家の家紋が三葉柏になり、岩崎家の家紋、三階菱と合体したのが三菱のマークの起源、というのは有名な話。

もし、背中に残った柏の葉っぱが2枚だったり1枚だったりしたら。今の「三菱」は存在しなかったのか。いや、「二菱」「一菱」だったんでしょうかね。まあ、どうでも良いけど。


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