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潮江城、元親、畝状竪堀群〔6136〕2020/02/02

潮江城、元親、畝状竪堀群

2020年2月2日(日)晴れ!

良いお天気の日曜日。朝は少し冷えました。今日の日付、20200202。いや、どうでもいいですが。20200202。

 

今朝も、まだ暗いうちから走ってきました。鏡川沿い。そして南嶺。龍馬マラソンが近づいてきて、走る人。増えました。早朝から善男善女が走り始めてる高知市内。

 

専門家って、すごいです。史跡とか地形とか、専門家が見ると、僕らには全然見えていないことが見えたりするんですね。そして思索が、深い。集めてる検討材料も、多い。当たり前っちゃあ当たり前やけど、やっぱし感心してしまいます。

 

今月の新刊でご紹介した、「土佐の山城」。これは、埋文の松田所長を始めとする城郭専門家の皆さんが、専門的な発掘調査結果や文献資料などをもとに書かれた本。城郭というのは奥が深くって、僕ら素人愛好家ではなかなか調べられない代物。おしろだけに。なんちゃって。

 

その「土佐の山城」では、潮江城跡も、紹介されてます。ご存知、筆山。高知の市街地を見下ろす、高知市民にとっては馴染みありまくりの、山。標高118m。

この、遠足やお花見でおなじみの山も、城址であるという目線で歩いてみたら、全然違う風景が見えてきます。

写真は、頂上にある展望台の上から撮影した日の出。今は頂上の周囲で木々が鬱蒼。だから、このような展望台の上からでないと見晴らせんけど、ここがお城であった戦国の頃は、土佐の中原が一望できる、戦国武将にとっては絶好の場所だったのは、疑いありません。

この頂上には、囲うように土塁の跡が、残ってます。

 

僕は、以前、戦国前期にここを本拠としたのは森氏で、勢力を伸ばした本山氏によって奪取され、その後本山氏も長宗我部元親によって追い出された、と書きました。そして長宗我部配下となった森氏が、再び管理するようになった、と。

でも「土佐の山城」では、ちょっと違う。

天文十九年(1550年)の潮江天満宮の棟札に、片山氏、長氏の名前が大檀那として見えることから、彼らとの関係が深かったんではないか、と書かれてます。森氏の関わりが、不明。

まあ、長宗我部の時代になってからは森氏が管理してたのは間違いないみたい。

 

その頃。

元親が本山軍を潮江城から追い出したのは、永禄三年(1560年)。その後。

 

実は、「土佐の山城」には、「北側緩斜面に築かれている畝状竪堀群が、1番の見所である。」と書かれてます。これは知らんかった。

畝状竪堀は、まさにその頃、全国で始まった防護技術なんだそう。山の斜面に沿って、縦に、土塁と空堀を筋状に構築するもので、それによって、寄せ手の侵入ゾーンを狭めて曲輪の周りをキルゾーンにする防御施設。

全国で始まったばかりの最新技術を、元親が早速取り入れてる、というのが、面白い。さすが、元親くん。麒麟がくる、ではないけど、明智光秀らの武将から公家衆に至るまで、幅広い人脈を持ってた元親くん。最新技術情報にも敏感だったんでしょうな。

 

で、この写真の左下辺り、駐車場からあがってくる道の北側斜面界隈に、幾筋もの畝状竪堀がああるんだそう。探検してみました。

なかなか道からは判りにくいけど、斜面に入っていくと、なんとなくわかりました。

こんなん、専門家でないと重要性、まったくわかりません。でも「土佐の山城」のお陰で、戦国の風景、元親の意図と戦略を楽しむことができた冬の朝。専門家は、すごい。

 

こっからは土佐の中原、そして重要拠点である大高坂山が真正面の眼下に見えます。ここを押さえることは、とても重要だった。

その大高坂山に、土佐で初めての石垣の城を築いたのも、元親くん。最先端技術の、粋。やはりただものではなかった元親くん。元親くんも、戦国の世を生き抜く専門家でした。


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