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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

功労者の名前は時空を超えて〔6726〕2021/09/14

功労者の名前は時空を超えて

2021年9月14日(火)雨

昨日の朝。コレラ感染の原因究明に大きな足跡を残したロンドンの医師、ジョン・スノウの話、書きました。そして、スノウが突き止めた、コレラの原因となった井戸があった場所に「JOHN SNOW」というパブがあるのを発見した話も。すごいよね。すごい。改めて英国人のやることに、感心してしまった。

公衆衛生に功績のあった人物の名前をリスペクトする英国人。ちょっと羨ましくなってしまいました。

 

振り返って、日本。日本でそういうリスペクトの仕方がされてる例って、思い浮かぶだろうか。偉人にちなんだ施設名とかは結構あるけどね。高知なんかは「龍馬」だらけやしね。でも、世の中ってのは、そんな一部の有名人だけが動かしている訳ではない。たくさんの人々の、様々な働きがあって、今の僕らの暮らしがあるのは当然で、あまり有名ではないけど重要な功労者も、多いのである。当たり前やけど。

 

では。高知で、有名であったり功績があったりした人物名が、町名や施設名に冠されている例って、何があるだろう。もちろん「龍馬」以外でだ。

 

まず思い浮かぶのは「播磨屋橋」。豪商播磨屋と豪商櫃屋をつなぐ私橋が播磨屋橋と呼ばれた訳やけど、これは人物名と言うよりは屋号なので、ちょっと違うかも知れません。

 

その土地を開発した人物名が冠されているのは、「弥右衛門」と「金田」でしょうかねー。

藩政期初期。二代藩主忠義公の時代。城下町の姿が徐々に形になってきた時代で、新田開発が重要な課題となっておりました。そして野中兼山さんが活躍する訳やけども、城下の東側の湿地帯でも新田開発が進められております。その開発を担った一人が金田源右衛門さん。その「金田」は、今も町名として残りますね。

もう一人が山崎弥右衛門さん。下知の潮留堤防の内側に、広大な新田を開発した山﨑弥右衛門さんの名前は「弥右衛門の丸」という地名となって残ったのでした。今、行政区画としての「弥右衛門の丸」は無くなったけども、ふれあいセンターや橋の名前に、ちゃんと残ってます。今朝の写真は、江ノ口川が国分川に流れ込むところに架かる、弥右衛門橋。朝、4時過ぎの弥右衛門橋。

去年できた、あの、防災機能をもった大きな公園も「弥右衛門公園」だ。

 

その山崎弥右衛門さんは、当時、潮江村の庄屋さん。

潮江新田の開発にも関わったと思われる山崎さんですが、なんと、その子孫の方が、今も潮江にいらっしゃることを、潮江の大地主だったKさんに教えて頂いたのは、今年のこと。

いやね。以前、こんなこと書きました。角川書店の「高知県地名大辞典」によると、昭和35年の「竹島町」の世帯数は「1」。竹島町には1世帯しか民家がなかった昭和35年。ちなみに令和3年9月現在の竹島町の世帯数は、高知市のHPによると966倍の、966世帯だ。

で、以前、その、唯一の世帯を調べてみたら、山崎さんというお家でした。今も竹島町にお住まいの、山崎さん。そして。

その山崎さんは、なんと、山崎弥右衛門さんの末裔であることがわかったのです。Kさんが教えてくれました。いや、すごい話だ。

 

そんな訳で、高知には公衆衛生功労者にちなんだ名前のパブはないけど、新田開発功労者にちなんだ地名は残ってて、その地名由来は400年昔のことなのに、その功労者の末裔の方が、今も当時と同じ潮江で暮らしておられるという時空を超えた展開に、驚かされるのでした。


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