玄武岩とローマ水道とローマ街道と文明と〔8105〕2025/06/24

2025年6月24日(火)雨
昨日の夕方くらいから、結構降り始めました。今はやんでますが、これから結構降る予報。まあ、梅雨ですきんね。
ここは久々の西分メランジュ。ブラタモリでタモリさんをご案内した、地質学的にとっても重要なシオスポット、西分メランジュ。北上するフィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む証拠が初めて示されたという西分メランジュね。ここでは1億年以上の地球の歴史が数十メートルに圧縮されている風景を見ることが、できます。
一番近い場所で最近堆積した砂岩。少し沖で細かい土が堆積した泥岩。風で運ばれたチリや、熱水活動によるミネラルに富んだ沈殿物が固まった赤色頁岩。ずっと南の太平洋でプランクトンの死骸が堆積したチャート。遥か南の海で珊瑚礁だったものが石灰岩。そして、1億3000万年前、ハワイ周辺の海底で噴出した枕状溶岩。
枕状溶岩は、基本、玄武岩質の溶岩が冷えて固まったもの。と、言うことは、玄武岩とも言える訳で、火山のない高知での玄武岩は、遠くから運ばれてきたもの、ということになります。横浪とか西分とかのメランジュでは、簡単に見ることができます。
今から1916年前の今日、西暦109年6月24日、帝政ローマで、「トライアーナ水道」というローマ水道が完成しています。ローマ水道は、古代ローマを代表するインフラで、アーチ型の水道橋が有名。
1世紀末まで供用されてたアッピア水道や、アンシエティーナ水道では、人口増の巨大都市ローマの水が賄えなくなった、ということで、第13代皇帝トラヤヌスによって建設されたのでした。537年、東ゴート族によって破壊されるまで機能したというから、すごい。もちろんメンテナンスもやったでしょうが、すごいよね。
更に、1世紀末まで供用されていたというアッピア水道って、紀元前312年に建設されてます。400年もの期間使われた水道。今から2000年以上も前に。日本では弥生時代を通じて使われた、水道。
ここで気になるのは、そこで使われた石材だ。それほどの長い期間の使用に耐えた石材とは。ローマといえば「すべての道はローマに通ず」で有名なローマ街道やけど、その街道の舗装にも、そして偉大なるインフラである水道にも、玄武岩が使われております。玄武岩が古代ローマの景観を為していると言うても過言ではないくらい。
上記のアッピア水道が建設された時期のローマはまだ共和制。で、紀元前312年の執政官、アッピウス・クラウディウス・カエクスによって作られたのがアッピア水道であり、そして、有名なアッピア街道。ローマ街道の中でも抜けて有名なアッピア街道も、そしてアッピア水道も、玄武岩によって構築されたもの。
ローマ界隈は火山地帯でもあり、玄武岩が豊富。で、玄武岩はとても固くて風化しにくいのに、加工もしやすいという特徴があります。
ローマがあのような発展を遂げた要因のひとつに、玄武岩が豊富だったことが挙げられるのではないでしょうかね。玄武岩あっての古代ローマ、と言うと言い過ぎでしょうか。たぶん言い過ぎです。
余談ですが、僕は中三か高一の吹奏楽部の定演で、「アッピア街道の松」という曲のソロを吹きました。これの1分8秒くらいからのやつ。僕はアルトサックスで吹きましたねー。不思議なメロディで、吹いててとても気持ちよかったこと、覚えてます。
写真は、西分メランジュで露出している枕状溶岩。玄武岩。高知では比較的珍しい玄武岩ですが、ローマ行けばたくさん存在するという、玄武岩。
地質が、岩石が、文明をつくる。と言うと言い過ぎでしょうか。