流され、打ち上げられた船〔8285〕2025/12/21
2025年12月21日(日)小雨
雨やけど、暖かい朝。今年も、日曜日は今日を入れてあと2回。いよいよ押し迫ってきたけど、暖かいねー。12月21日。
昭和南海地震が発生したのは昭和21年12月21日午前4時19分過ぎ。戦争の被害からまったく復興していない高知も、地震の被害に見舞われました。
気象庁の過去データを見てみると、高知市の最低気温は-0.6℃。最高気は11.9℃。夜明け前の一番寒い時間帯に発生しているので、皆、寒さに震えながら避難したと思われます。高知市は地盤沈下と津波の影響で、かなりの広範囲が長期浸水になってしまった話は、幾度か書いてきました。潮江地区の状況については、元酪農家さんで僕が子供の頃から大変お世話になった野崎さんのお父様が詳細に日記に書き留めており、干潮満潮が完全に狂った中で、潮が押し寄せては引いていく様子がよくわかります。
今年は異常に暖かいけど、昭和南海地震のときは寒かった訳で、想像するだに恐ろしい。
九反田で生まれ育った元JALのパイロットYさんは、現在千葉在住ですが、毎月実家のある九反田へ帰って来られてます。帰高された際には、時々、飲みに誘ってくださるのですが、先月もご一緒させて頂きました。その際、パイロット時代の格好良い写真とか、色々と見せて頂いたのですが、その中に、お母様が撮影されたという、昭和南海地震の時の写真がたくさんあったのでした。いや、初めて見る風景ばかりで、本当に衝撃的な写真。
地震の当日か翌日くらいの九反田、農人町界隈の写真には、津波で堀川を流されて岸に打ち上げられた大量の船が写っています。下知地区の地盤沈下と長期浸水、といった状況写真は見たことあったけど、夥しい船が打ち上げられてゴロゴロしているの写真は初めて。これは本当に貴重な記録。Yさん、その写真群をあまり外には出したことないそう。これは昭和南海地震とかの研究をされている方にお見せしたい、と話したことでした。貴重な貴重なアーカイブ。
昨夜、そんな昭和南海地震のことなどを研究している学芸員さんと飲んでてその話したら、とても見てみたがっておりました。
僕の母は昭和南海地震の時には浦戸に住んでて、「津波が来るぞー」という声を受けて裏山に駆け上ったそう。で、山から、浦戸湾をたくさんの船が津波で湾奥の方へと流されていくのを見た、という母の証言は、その九反田の写真につながった訳です。
覚えておかんといかんのは、昭和南海地震は、幾度もやってくる南海トラフ地震の中では例外的に規模が小さかった、ということ。次の南海地震は、昭和のものよりもずっと規模が大きいことを覚悟しておかんといけません。
写真は今朝夜明け前の九反田、農人町。
昭和南海地震から、今日で79年。
