土佐堀川、安治川口〔8236〕2025/11/02
2025年11月2日(日)薄曇り
そんな訳で、大阪。昨日ご紹介した大阪市中央公会堂が、土佐堀の川面に映えて美しい朝。新大阪6時発の始発新幹線に乗り、岡山駅で南風1号に乗り換えて高知へ帰ってます。
それにしても、さすが、国指定重要文化財だけのことは、あります。昨日は素晴らしい建築の内部を堪能しました。この、いかにも辰野金吾らしい外観も見事やねー。明治後期から昭和初期にかけての建築って、デザインに関しての余裕があるよね。お隣の中之島図書館の建築も見事でした。
土佐堀。明治40年に淀川放水路、つまり現在の淀川が開鑿されるまでは、ここが淀川でした。旧淀川はその流れる場所によって大川、天満川、安治川などと名前がかわってゆきます。で、中之島界隈では、旧淀川本流としてが中之島の北側を流れる堂島川。この、中之島の南を流れる土佐堀川は、ウィキによりますれば、「河川調書では別河川扱いとなる」んだそう。つまり、ここは厳密に言うと旧淀川ではない訳だ。
「土佐」という名前を関する川が大阪のど真ん中を流れているのは、土佐人としては少し鼻が膨らみます。その名称から、土佐藩の蔵屋敷がこの界隈にあったのか、と思いがちやけどそうではありません。藩政期、土佐藩の蔵屋敷は長堀の白髪町にあって、土佐稲荷神社が鎮座してます。幕末、その北に大阪土佐商会が創られ、それを岩崎弥太郎さんが譲り受けて三菱の土台を気づいたのでした。鰹座橋という大きな交差点もあるよね。その辺が、藩政期の土佐藩ゆかりの土地。
ならば何故、ここが土佐堀なのか。ウィキには、豊臣期に、この界隈に土佐国の商人が群居した「土佐座」の地だったからと書かれています。北浜など、現在の大阪のビジネス中心地は、実は、土佐商人の縄張りやった訳だ。今は昔。
中之島の西で堂島川と土佐堀川は再び合流し、本流は安治川となって大阪湾へ。分流は木津川などにいくつも分かれ、大坂八百八橋と歌われるようになりました。
安治川河口には、USJや海遊館があって、その先で開催されたのが大阪関西万博。やけど、そもそも安治川の河口は大都市大坂の経済を支える物流の玄関口でした。そんな流れのなかで、現在も、JR安治川口駅には貨物ターミナルがあり、たくさんの貨物列車がやって来ます。
かの、スーパーレールカーゴも、東京貨物ターミナルと安治川口を結んでいます。通常の貨物列車は、機関車が引っ張る列車。動力があるのは機関車だけ。それを、通常の電車と同じように各車両にも動力を分散させた「貨物電車」がスーパーレールカーゴで、なんと時速130kmで走れます。東京貨物タ~安治川口駅間を、なんと6時間11分で結ぶ、夢の貨物電車。走る電車はM250系。
まだ、貨物電車の普及は進まんけど、未来の日本への、ひとつの提案として重要な存在。かつて大坂の経済を支えた安治川口、この土佐堀川の河口には、未来の物流への提案が走ってきているのでした。
