交流人口と航空便〔8183〕2025/09/10

2025年9月10日(水)曇り
昨夜は蒸せたねー。蒸せました。またまたクーラー無しではキツい夜。牛乳飲んで、体調管理に気を付けましょう。
さて。一昨日、ボーイング767のこと書いた際に、高知空港ジェット就航の頃の飛行機の状況が気になったので、調べてみました。
調べたのは、手元の「ポケット全国時刻表1981年12月号」。恐らくは、大学2年生の冬休み、東京から高知へ汽車で帰省する際に駅で購入したものでしょう。捨てずに持ってて重宝してます。
この時刻表には、鉄道だけではなくて飛行機や船、長距離バスの便の時刻表も掲載されてるので便利。で、見てみました。高知空港発着の航空便。
ちょっと驚いたのが大阪便の多さ。左上が全日空の高知大阪便で、何と17往復。その下に東亜国内航空の大阪便もあって、5往復。合計22往復。恐らくは64人定員のYS-11なので、一日の片道輸送定員が1408名。
現在の高知大阪便は全てANAで6往復。74人定員のボンバルディアなので、一日の片道輸送定員は444名。なるほど。高速道路や瀬戸大橋ができて、大阪高知の移動はそちらに移行してしまいました。交流人口全体では増えてるでしょうけど、航空便は減りました。
で、左下と右下にあるように、1981年当時、名古屋便3往復と宮崎便1往復がありました。福岡便がありません。そう。宮崎は、今よりもずっと近かった。
そして、東京高知便。1981年当時の東京高知便は、たったの4往復。それも、定員64人のYS-11で。そんなに少なかったっけ、と思うけど、少なかったのでした。全部全日空ですな。現在はJALとANA合わせて10往復。しかも定員は200名近いので、1981年当時とは比較にもなりません。今はJetStarの成田便もあるしね。
あの頃、もちろんバスや自動車とかで東京へ行くことはあり得ず、汽車の旅でも東京まではなかなかの大旅行でした。だから飛行機が主体と思うけど、YS-11で4往復。
当時は大阪高知特急フェリーや東京行きのさんふらわあがあったことは、現在とは違います。東京へは、船という選択肢もありました。
が、やはり「交流人口」が今よりもずっとずっと少なかったと思われる、高知と東京。そんな社会が、この時刻表から見て取れます。
交流人口。現在、僕もしょっちゅう出張で東京行くし、東京在住のJr.も気軽に帰高するし、1981年当時は想像もできなかったことやけど、今は弊社の商品も東京でたくさん販売されるようになりました。社会が狭くなった、という感じ。
ただ。
今の高知の高校生。大学受験では、国公立志向が強まっており、私学では関西志向。関東の私立大学を目指す高校生、減ってます。早慶などへの進学、この数年でかなり減りました。高知の所得に比しての東京での生活費の高さとかもあるでしょうねー。
この時刻表にあるような、高知東京便がYS-11で4往復しかなかった時代の方が、高知から早慶への進学者が多かった、ということ。一概に「交流人口」と申しましても、なかなか難しい。