767〔8181〕2025/09/08

2025年9月8日(月)晴れ!
高知空港で2000m滑走路の供用が始まり、ジェット旅客機が就航したのは1983年12月のこと。僕が大学4年の12月。つまりですね、東京で大学生だった最後の最後に、羽田高知便がジェット化された、という訳だ。懐かしいねー。
それまでは、幾度も書いてきたようにYS-11。名機ではあったけど、ギュイーンギュイーンといった感じでよく揺れました。羽田高知の所要時間は約2時間。座席はちと狭く、肘掛けに灰皿があったよね。時代ですなー。
羽田から初めてジェット機で高知へ帰ったのはいつだったか。ボーイング767という、当時最新鋭のジェット機だった記憶があります。それまで3人体制だった操縦士が2名になった画期的な機体、という触れ込みだったようななかったような。もう、遠い昔の話ですきんねー。
そのボーイング767の運用が始まったのが、1982年9月8日。43年前の、今日。で、国内、ANAがボーイング767を就航させたのはその翌年、1983年6月21日。羽田ー松山線だったとのこと。松山空港は1972年にジェット化されてるジェット化の大先輩。大都会からの交通の不便さは高知と変わらんけど、人口がねー。今も昔も人口は「力」だ。
そして。高知空港がジェット化されたのが、1983年12月だから、ANAが初めてボーイング767を就航させてから半年後。まだピカピカの新鋭機だった、767。
当時、高知羽田便に日本航空は就航してなかったので、僕らにとって「ジェット機」と言えば767。夢の超特急ならぬ、夢のジェット機だったのでした。40年以上前の話。
現在の高知羽田便、ANAはボーイング737-800とエアバスA321みたいですね。JALは737-800。エアバスA321は、通路が二本あるデカいやつだ。僕は小さい方が、好き。
ところで、高知空港ジェット化当時って、高知空港を離発着してた航空会社は全日空ANAと、東亜国内航空TDAだったと記憶します。
高知伊丹便に東亜国内航空のが飛んでたのは覚えてるけど、羽田便ってありましたっけ?あったとすれば、高知空港ジェット化後はどうなったんだろう。いや、当時の羽田便、ジェット便にはANAの記憶しかないから、東亜国内航空が日本エアシステムになり、その後日本航空に統合された後、JALの羽田便ができたのか。
なんせ、昔の話なので記憶が曖昧です。申し訳ございません。
写真は今朝、空港ビルの屋上から撮影した、始発便。始発の羽田便は、ANAもJALもボーイング737-800やね。その向こうには、高知空港にとってはちょっと苦い思い出のあるプロペラ機、ボンバルディアDHC8-Q400。彼の機も、就航して20年を超えるベテラン機になりました。