早明浦はどこだ〔8180〕2025/09/07

2025年9月7日(日)晴れ!
暑いね。暑い。
ここは「さめうら湖」。四国一の多目的ダム、早明浦ダムのダム湖。さめうら荘からの眺め。地図で見るとこんな感じ。早明浦ダムで沈んだ集落というと、大川村を思い浮かべると思います。役場とかいった村の中心部が水没してるので、宜なるかな。
なんですが、土佐町もたくさんの集落がダム湖に沈んでいます。こうやって見てみると、土佐町の水没面積はかなり広い。
平凡社「高知県の地名」によりますれば、土佐町の条に、「当町でも早明浦をはじめ多くの集落が水没した。」と書かれてますね。そう。早明浦ダムの「早明浦」は、土佐町にあった集落名なのでした。ネットでは土佐町の古い地図が見当たらんかったので、「早明浦」集落がどこにあったのかは、わかりませんでした。恐らくはこの界隈の水の下に沈んでいるんではないでしょうか。
今は知らない人のいない「早明浦」やけど、ダムができるまでは、「早明浦」という地名は極めてローカルなものだったのでありましょう。
などと考えながら、現在の地図を見てみたら、あるではないか、「早明浦」。この、さめうら荘がある場所が、まさに、「早明浦」。いや、「高知県の地名」の記述に基けば、恐らくは、この眼下、ダム湖の水の下に、早明浦集落があったのでしょうか。今や全国に名を轟かす早明浦ダムの「早明浦」は、この水の下だった。
ウィキによると。この早明浦ダムの計画が最初に持ち上がったのは昭和24年だそう。その時の計画では、この瀬戸川合流地点のすぐ下にもダムが建設され、現在のさめうら湖が二分割されるようなものでした。それから諸々、曲折があり、電力不足の解消という国家の要望もあって、早明浦ダムと小歩危ダムの二大ダムを建設することになる。その下流に池田ダムと川﨑ダム。
そしてまた諸々曲折があって、現在の、早明浦ダムと池田ダムという風景ができあがっていったのでした。
小歩危渓谷にダム、という計画。小歩危は大歩危の下流。ということは、もし小歩危にダムができてたら、現在の大歩危渓谷はなかった、ということ。大反対運動が展開され、中止になったのも宜なるかな宜なるかな。
自然環境よりも経済発展に重きが置かれていた、今からは想像もできない世界。、もし小歩危ダムができていたら、その、人類にとっての損失は計り知れないものだったでしょう。よくぞ中止になりました。
さて。今朝現在の貯水率は87.8%。まあまあ。朝は87.4%だったので、まだまだどんどん山から水が流入を続けています。香川用水を使う皆さんも、これでひと安心。
治水。利水。自然環境。
人類は、いろんなことの折り合いをつけていきながら、知恵を絞り、決して目先に捉われず、より良い社会を目指していく。ここにあるのは、そんな、折り合いの風景。