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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

元親初陣!戸の本古戦場〔1677〕2007/11/18

元親初陣!戸の本古戦場

2007年11月18日(日)晴れちょりますが風が冷たい感じですね

今日は、風がエライ強うて、肌寒いお天気。いや、もう11月も後半ですきにこれが当たり前の気候ながでしょうけんどね。

こないだうち、10月24日や27日のにっこりで、長浜界隈が、長宗我部氏のにおいがこぢゃんとする場所である、てなお話をしました。その話題の中でも触れましたが、元親さんのお父さん国親さんがどんどんと土佐中部を勢力圏に抑え、同じく中原に覇を唱えろうとしよった本山氏と、戦国土佐事実上決勝戦を迎えることになりました。

で、1560年、国親の軍勢は本山氏の支城、長浜城に夜襲を仕掛け、城を落とすことに成功。朝倉城の本山本軍は急いでこの長浜に押し寄せ、長浜城の西側の平原で決戦となった訳です。そのことを記す記念碑が、この碑。ここが、その、土佐の歴史上有名な「戸の本古戦場」であることを伝える碑。「伝える」と申しましてもですね、「古墳也勿毀」と刻まれちゅうだけです。つまり、「古墳なり こぼつなかれ」、つまり、「この界隈には戦死者がどっしこ葬られちゅうき、掘り返したらいかんぞね」と書かれちゅう訳です。それだけですが、この場所の重要さを簡潔明瞭に表してくれちょります。

この「戸の本合戦」が重要なのは、この戦が国親さんの嫡男元親さんの初陣やったこと。この直後、国親さんは亡くなってしまい、総大将となった元親さんの破竹の進撃が開始することとなるのであります。この戦をきっかけに本山氏は勢いを無くし、土佐中原の覇者となった長宗我部元親さんが、西へ東へと勢力を広げて四国全土を平定することになっていったがです。その原点と言える合戦が「戸の本合戦」。

合戦の頃はここは原野。競馬場の南、雪蹊寺の西側の平野で、今は住宅地。新川川が藩政期に掘られ、この界隈は原野から農地へと変化しました。で、むやみと開鑿すれば、戸の本の合戦の戦死者が掘り返される、ということで、この碑が建てられたようです。

重要な史跡ですけんど、土佐の地元で知るヒトは少ないようです。


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