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急行鷲羽〔3901〕2013/12/20

急行鷲羽

2013年12月20日(金)

年の瀬。押し迫って参りました。街にはクリスマスソングが溢れ、夜になると、あちこちにイルミネーション。街中だけではなく、かなりの田舎でも派手なのが増えてきましたね〜。
それはともかく。
年末でございますので、朝の汽車に乗って関西へ向かいよります。年末のご挨拶などなど。今年最後の出張でしょうか。

今朝の南風はアンパンマン列車。今年、やなせたかしさんがお亡くなりになりました。改めて、やなせたかしさんの、人間としての素晴らしさを見つめ直すことになりました。マンガや作詞、詩作など、その才能はマルチ。そして、何よりも、その才能をアンパンマンのように皆に分け与える無償の愛。
どっかのマンガ家が、高知は作家を食いものにしてケシカラン、みたいなことを書いちょりました。たしかに、甘えきっちょったことは間違いないですが、それは、やなせさんの思いもありました。そういった誹謗は、やなせさんの思いを踏みにじるものとして、こじゃんと不快な感じがしました。
ヒトの思いというのは、そんな思いがないヒトには、決してわかることが無い、ということを、改めて実感したことでした。

さて。土讃線。
この特急は、いわゆる「振り子列車」で、カーブの多い山中でも、ある程度スピードが出せる仕組みの汽車ながやそうです。独特の揺れ方をしますき、酔う方もいらっしゃるようですね。小生は、小さい頃、車に酔いよりましたし、今でも船には弱いです。が、この振り子列車は大丈夫。こんまい頃から鉄道が好きやったので、汽車が揺れる分には大丈夫ながでしょうか。
この土讃線、なかでも土佐山田から阿波池田、そして琴平までは、たぶん、電化されることは無いと思われます。大昔につくられた夥しい数のトンネルなどは、電化するのは無理な大きさ。もし、電化しょうとするなら、根本的にトンネルからやり変えんといかんでしょうき、高知の人口などなどを勘案して、有り得なんことでしょう。

子供の頃。土讃線の汽車しか知らなかった少年が、初めて乗った電車は、急行鷲羽でした。宇高連絡船で、高松から本州の宇野に渡り、初めて四国以外の土を踏んだのは小学校3年生のとき。1970年。そう。大阪万博のとき。
宇野から大阪へは、急行鷲羽でした。山陽新幹線が開通したがが1972年。それ以前は、四国から関西へ汽車で行く人々が必ず乗った急行鷲羽。ですきに、本数も多かったと記憶しちょります。で、電車でした。
電車と言えば土電の路面電車しか知らなかった少年。急行鷲羽に乗って、その、ヂーゼルとは全然違う音、加速に驚いたことを、昨日のことのように覚えちょります。なにやら、新しい文明に触れたような、そんな体験でした。

山陽新幹線が開業し、急行鷲羽は、夜行の一往復だけになったようです。あっという間に、主役の座を新幹線に譲ってみもうた急行鷲羽。当時の時刻表をネットで調べて見ました。朝、5:28に宇野を出発した急行鷲羽2号は、終点の新大阪に9:12に到着。なるほど。3時間44分。
当時、急行あしずりで高知から高松までが約3時間。振り子列車ぢゃあないので、そんなに飛ばせんかったがですね。で、宇高連絡船の乗船時間が1時間。高松駅と宇野駅での乗り換え時間が合計30分として、高知から新大阪まで、汽車で行ったら8時間15分くらいか。それっぱあはかかりよりました。
今朝、高知駅6時発の南風に乗っちょります。岡山で新幹線に乗り換えて、新大阪に着くがが9:35。3時間半。
そうか。当時は、今の倍以上の時間をかけて行きよったのか。

自動車で行こうとしたら、もっとかかりよりました。高速道路の橋も無い時代。そんな訳で、大阪と高知の間は船が便利でした。関西汽船の船が行き来し、1970年からは大阪高知特急フェリー。夜乗ったら、寝ゆう間に、朝、到着する、という優れもの。汽車に乗って8時間以上かかるなら、船が楽チンやったでしょうね。


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