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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

飛騨高山の城山〔4034〕2014/05/02

飛騨高山の城山

2014年5月2日(金)高山は晴れちょります

今朝は飛騨高山。そう。岐阜県の飛騨高山。去年の6月以来でしょうか。その際にも書きましたが、ここに本拠を置く飛騨酪農組合さんが、弊社の青汁「菜食健美」の宅配をやってくださりゆうので、そのお仕事のお話。そんな訳で、飛騨高山を訪れるようになった小生ですが、今朝、初めて、城山なるものに駆け上ってきました。

飛騨高山というと、しゅっと、天領と思い浮かびますき、お城があるイメージがありませんでした。何度かやって来ても、天領であるが故の行政事務所、陣屋のイメージが強烈で、お城のイメージがない。
初めて来た際、城山の東側の寺町をたつくったので、一度、山中をたつくってみたいとは思いよりました。冬季に来ると、雪深い山になるので、なかなか難しい。てな訳で、今朝、5時にホテルを起き出して走ってきたのであります。

どれっぱあの高さやろう。と、思うて、標高を調べてみたらビックリ。686.6m。そんなに高いのか。しかしよく考えてみると、飛騨高山の街自体が、こじゃんと標高が高い訳で、その標高差がどれっぱあなのかが問題。駆け上った感じでは、100くらいでしょうか。高山の街の東に盛り上がる山に、お城が築かれちょった訳です。
上にも書いたように、天領ですと、お城の必要はない。つまり、天領になる以前に築かれたお城、ということになる訳だ。で、砦程度のものを想像しちょったのであります。迂闊にも。

駆け上ってみてビックリ。こじゃんと立派なものがあったようです。しかも、こじゃんと古くから。
最初は、飛騨の守護代、多賀出雲守徳言によって文安年中、つまり1440年代に築城。戦国初期には高山外記が在城しちょった、とあります。そして戦国。
天正13年(1585年)、秀吉配下の金森長近が、秀吉の命をうけて飛騨へ侵攻、秀吉によって飛騨一国を賜りました。で、この、交通の要衝である高山の天神山古城跡に、自分のお城を築くことにしたのでありますね。
天正16年から慶長5年(1600年)までかかって本丸、二ノ丸を作り、その後3年かかって三ノ丸。

説明板によりますれば、そのお城は、信長の安土城築城直後に築かれたので、その影響をこじゃんと受けたものであったとか。軍事的機能優先ではなく、御殿風の様式。
この写真は詰の段。ここ本丸に、本丸屋形が建てられ、そこに台所や風呂、茶室などがあったことから、ここを殿様の居住の拠点としちょったことがわかります。
その後のお城の形式で言えば、本丸は儀礼的、公式行事的な場所になり、居住や執務は二ノ丸などでやったがが一般的なので、ちょっと意外でした。
中世の城でも、長宗我部氏の岡豊城や、本山氏の朝倉城も、頂上の詰の段には望楼のような見張りの砦が築かれ、居住や執務はもうちょっと下の場所であったと思われます。

で、本丸屋形を中心に、結構大きなこの山の地形を利用して、お城の様々な施設がつくられ、まさしく「城山」であった様子がよくわかった朝RUN。

砦どころではない。こんな山中、と思うてはいかん。やはり、交通の要衝で、林業や鉱山などで栄えただけあって、古くから、豊かとさえ言える重要都市であったであろう、飛騨高山の重要性を、城山で実感したのでありました。

金森氏の統治は、元禄5年(1692年)まで。それまで、この場所にあった立派な本丸屋形を中心に、お城が築かれて高山の政治の中心であった訳ですが、突然金森氏に移封の命令が幕府より下り、ここは天領となりました。金・銀・銅・木材など、金になる資源が溢れるこの地方を、幕府は、直轄地にしたかったのでありましょう。で、今は朝市が開かれる、この城山の西側の川沿いに陣屋が設けられ、明治まで続いたのでありました。

早朝から、観光客さんが街のあちこちでカメラを持って行き来する、古い素敵な町並みの飛騨高山。城山に登る観光客はいませんが、そこも、高山の古い歴史を体感できる場所であります。


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