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比江村七人ミサキ、比江山神社、比江山城趾〔4061〕2014/05/29

比江村七人ミサキ、比江山神社、比江山城趾

2014年5月29日(木)晴れ

今朝は高知。昨日は関西日帰り出張でした。
こないだ、「七人みさき」という演劇のことをご紹介しました。3年前、長宗我部元親を主人公にした演劇「誰ガタメノ剣」を、東京と高知で公演した、シアターキューブリックさんが、その続編として創ったもの。先週、池袋のあうるすぽっとで公演が行われ、丁度出張が重なったので、観に行きました。なかなか面白かったです。
で、その題材となった「七人みさき」。

秀吉に下った後の元親は、秀吉の命で豊後に出兵、バカな仙石秀久のせいで戸次川で敗北、嫡男の信親を喪うたのはご承知の通り。
その後。嫡男が亡くなってしまい、自分の後継ぎを、まだ幼い四男の盛親に指名したことに重臣が反発。特に、元親の甥である吉良親実は、次男香川親和や三男津野親忠がいるのにそうすることは道理が通らん、と、強く諫言し、元親によって自刃を命じられてしまいました。その際、親実家臣7名も殉死。その怨霊が現れるようになった、という伝説が「七人みさき」。
その死霊に出会うと、取り殺される。そして、怨霊は成仏するが、取り殺された者が新たに怨霊となり、いつまでも七人の霊が増減することなく現れつづける「七人みさき」。

吉良氏の「七人みさき」が有名ですが、もう一つ、「比江村七人ミサキ」も有名。
元親に、その後継を巡って諫言した親族に、比江山親興がいます。元親の叔父の息子。つまり従兄弟。岡豊城の出城としてつくられた、比江山城の城主。比江山は、紀貫之も住んだという国府のすぐ北東の山。その名からもわかるように、古くから大切にされてきた山で、その立地からも岡豊城を守る重要な拠点。
その比江山城も、天正16年、長宗我部氏の本拠が岡豊から大高坂に移された際に廃城。その詰の段があったのが、この写真の場所といわれちゅうそうです。

その天正16年、大高坂に引っ越してここが廃された頃、後継問題で元親の不興を買うた比江山親興は、吉良親実と同じように、久武内蔵助の讒言によって切腹を命じられました。切腹したのは大高坂城西の廓。
で、長男は改田へ逃げるも道中で切られ、婦人と次男は改田の善勝寺で自害した、とされます。親興と、その妻子たち6人が自害、または殺され、その死霊が「七人ミサキ」となった、という伝説。比江村七人ミサキ。

比江山の、城があった場所に、比江山親興夫妻と二人の息子を祀る神社が建てられました。比江山神社。比江山の周辺は、工業団地ができたりして開発が進んできましたが、この、比江山神社がある一角だけは、鬱蒼とした森や竹薮が広がり、静かな雰囲気をそのままに残してくれちょります。
比江村七人ミサキを鎮めるために、建てられた神社かも知れません。この城跡の神社は、人を寄せ付けない雰囲気が満ちています。400年以上昔の、人々の思いが満ちちゅうがでしょうか。

岡豊を捨て、現在の高知城がある大高坂に本拠を移したのが、上に書いたように天正16年。戸次川の戦いから1年ちょっと。そして吉良親実、比江山親興らの諫言と死。そして七人みさき。
せっかく移った大高坂から、再び本拠を浦戸へ移したのは天正19年。3年しか、大高坂にはおりませんでした。
大高坂では、怨霊騒ぎや悪い事が続いておりました。浦戸への移転については、治水の問題説などなど、色々な理由が取沙汰されております。大高坂には怨霊が出るので、それを怖れて移転した、という説も、あながち突飛な説ではないように思えてきます。


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