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付加帯、連山、浸食、物部川〔4088〕2014/06/25

付加帯、連山、浸食、物部川

2014年6月25日(水)晴れ!

夏晴れ。夏。梅雨は、夏空の合間に時折訪れます。今日も暑い一日になりそうです。
ここはいつもの野市、上岡八幡宮さんの西参道痕跡。八幡様が鎮座まします上岡山の南麓。西の物部河原に向かい延びる、小道。そして破壊された鳥居の脚や狛犬、燈籠の痕跡。
上岡八幡宮の氏子は、物部川西岸の南国市物部まで広がっちょりますので、西岸の氏子さんたちは、このしゅっと西にあった渡しを小舟で渡って参拝に来よった訳です。物部川に橋が架けられるまで、河口の渡しと深渕の渡しの間にあった、ここの渡しが、上岡八幡宮西参道であった訳です。

何故、物部川西岸にも八幡様の氏子さんが広がるのか。それは、昔、物部川本流がもっと西にあり、今の西岸も上岡山と同じ東岸にあった名残、という説が有力。
太平洋戦争末期、今の高知空港のところにあった海軍航空隊飛行場が米軍爆撃の対象となり、この界隈にも爆撃が繰り返され、上岡八幡宮の鳥居や狛犬もかなり破壊されました。南東の表参道の方はかなり修復されましたが、橋が架かって使われんなったこちらの西参道の方の鳥居などは、そのまま、破壊されたまんまの姿で、修復もされず、今もたたずみます。

物部川の流路は、太古の昔から、少しづつ東へ東へと移動したのでありましょうか。

介良の、高天原山と小富士山の間、中野団地界隈の地下を掘ると、どうやらそこは川床であった証拠があるようです。それで、有史以前、そのまた昔の物部川は、そこを西流して古浦戸湾に流れこみよったと思われます。
何故、四国山地、白髪山や三嶺から流れてきた大河が、平野をまっすぐ南流して太平洋に流れ込まず、西流して浦戸湾へ流れ込んじょったのか。
Google Mapの衛星写真と、この目の前の川の石灰岩の露出を見て、ひらめきました。そうか。山やったのか。

この写真の左遠方に山が見えます。小富士山、鉢伏山。稲生の石灰山。浦戸湾を挟んで西へと伸びる連山。そして、この上岡山から北東を見ると、これまた石灰岩の多い三宝山と、そこから北東へ伸びる連山。そしてこの眼前の物部川。この写真を見ても解る通り、川を横断するように石が見えます。これは、転がる石ではなく、地面から生えてきちゅう石。そう。石灰岩の露出であることを発見しました。
ここは、稲生の石灰山と三宝山を結ぶ線上にあります。あの連山を形成するのと同じ地層帯であることは間違いない。
石灰岩の連山は、太平洋の南の海で形成され、プレートに乗って運ばれてきた礁がユーラシアプレートに潜り込む際に付加帯となり、盛り上がってつくられてきたもの。
その付加帯連山は、ここに三宝山から浦戸湾まで切れ目無く続く連山やったのではないか。

で、四国山地から流れてきた大河物部川は、連山の北側を西流して古浦戸湾へと流れ込みよったと。その川水は、伏流水となって縦横に流れ、いつしか連山の地下を浸食して太平洋に流れ込むようになり、悠久の時間の流れのなかで山は浸食され尽くして平野になり、物部川はそこを南流して太平洋へ直接流れ込むようになった。そんなストーリー。衛星写真を見たら、そんな物語が手に取るようにわかりました。なるほど。地球の営みの豪快さ。

と、言うことは。この、神の山、上岡山は、その連山の痕跡かも知れません。昔、稲生の山と三宝山を結んじょった連山の痕跡。この眼前の物部川に石灰岩の露出があることからも、それが類推されるではありませんか。

それは、何百万年前の話でしょうか。もっと前の地質時代のことでしょうか。地学の世界では、あっという間の時間かも知れません。
そんな妄想を暴走させながら風景と衛星写真を眺めるのは、面白い贅沢。


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