80年目、平和祈念の碑〔8115〕2025/07/04

2025年7月4日(金)晴れ!
朝ドラ「あんぱん」では、1945年(昭和20年)7月4日の「高知大空襲」の模様が描写されておりました。ああいった歴史があったことを若世代にも知っておいてもらう為にも、良い描写だったと思います。今日は、その「高知大空襲」から80年目。その大空襲のことを記憶する方々も、少なくなってきました。
ここは高知市大原町。龍馬スタジアムの西側の、鏡川南岸。ここに、このようなモニュメントがあることは、あまり知られてません。
正面に「平和祈念の碑」と刻まれた碑。側面にはこう書かれています。
高知空襲犠牲者名簿を納め、未来に向けて平和思想を継承することを目的に平和祈念碑を設置する
2004年7月4日
高知市
高知市によって設置された、「高知大空襲」の犠牲者を弔い、平和を祈念する碑。
大空襲の後、身元のわからないたくさんの遺体を、当時空き地であったこの場所に運び、仮埋葬したんだそうです。その後、ここは競輪場になりましたが、旧競輪場では、夜になると「おとうさーん」と呼ぶ子どもの声がどこからともなく聞こえてくる、という話は、競輪選手の間では有名な話だったそう。
21年前の2004年7月4日、この祈念碑が建てられ、その翌年。高知大空襲から60年目の2005年7月4日には、広島市より、被曝2世のアオギリが寄贈されました。左手の樹が、そのアオギリ。
10年前、2015年7月4日の翌日、僕は筆山から北中山を通って鷲尾山へと走りました。その際、「嘆きの森」を紹介しています。高知大空襲で犠牲となった身元不明のご遺体100体ほどが、荼毘に付された後、その場所に埋葬されたと言います。なので「嘆きの森」。
「嘆きの森」と書かれた立札は、一時期古くなって倒れてましたが、今はまた、新しいのが立っています。
本日朝10時より、この写真の場所で、「高知大空襲の犠牲者を追悼するとともに、未来に向けて平和思想を継承する」べく、「高知市平和祈念式」が開催されます。
今は早朝。まだ誰もいない静かな平和祈念の碑。80年前、ここに地獄がありました。