1本からお届けします!お電話でのご注文・お問い合わせ

フリーダイヤル:0120-77-6245

今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

野々宮神社、倒れたご神木〔4138〕2014/08/14

野々宮神社、倒れたご神木

2014年8月14日(木)薄曇り

昨夜は鏡川の花火でした。鏡川の河畔はもちろん、市内、至る所で花火を見上げながら楽しむ市民で溢れ、素敵な雰囲気になっちょりましたね。昔から、庶民は、こういった楽しみをみんなで共有し、文化を育んできたのでありましょう。楽しむ人々の渦を見るのが、実に楽しかった夜でした。

さて。昨日の高知新聞に、野市の野々宮神社さんのご神木が台風11号によって倒されてしまった、という記事が載っちょりました。これはビックリ。
と、いう訳で、今朝、お参りに行ってきました。香南市野市。野々宮神社さん。
この写真をご覧下さい。そして、2010年6月11日に同じアングルで撮影したこの写真と見比べてみて下さい。そう。真ん中にあった杉の巨木が無いなっちょります。樹齢200年を超えると言われる、高さ20mの杉の巨木が、根っこが掘り起こされるように倒壊しました。掘り起こされた根っこと樹の脚の部分は、まだ、樹が立っちょった場所にそのままの状態で残されちょりました。
樹の横にあった燈籠が、根っこが掘り起こされるのに巻き込まれて倒壊しちょります。

脚から上の部分は切除され、南側の、土俵のある広い境内に横たえられております。年輪を勘定したら、正確な樹齢がわかりそうですね。

ここ野々宮にはかつて森がありました。野々宮の森は、源平合戦の幕開けとなった寿永元年(1182年)に存在しちょったことが、「東鑑」に記載されちょります。頼朝挙兵に、土佐国、介良に配流されちょった頼朝の同母弟、源希義が呼応、挙兵しようとしたのに、土佐に数少なかった源氏方の武将、夜須七郎行家が合流すべく夜須から西進するも、年越山で希義が平家方に討たれた、という報せを聞き、ここ、野々宮の森から夜須へ引き返した、という逸話。

元々、洪積台地の上の森。土は痩せ、水の便が悪い荒れ野。そこに、灌漑用水を通して広大な農地にしたのが野中兼山さん。
で、旧長宗我部氏の遺臣を「郷士」に取り立て、そこに住まわせて開墾させたのでありました。野市を開発した功労者は、長宗我部の遺臣たち。で、そこにあった、太古の昔からの野々宮の森。野々宮と言うばあですき、ここに、野山の大自然の神様を祀るお宮があったがでしょうか。野市に村ができると、村人は、その森を鎮守の森として祭祀を始めました。
正保三年(1646年)、郷士、原源五衛門重成なる人物が、立派な社を立ててお祀りしたところ、家運隆盛した、という話が残ります。

野々宮神社さん。
何度か、少しだけこのにっこりにも書いたことがありますが、社地を巡って、争議がありました。その顛末については、氏子さんによって、後世に伝えるべく石盤に刻まれ、立てられちょります。
かいつまんで申しますれば、社殿の西側の土地、そこは元々神社の土地、神様の土地であった、というもの。「野取丈量帳」という証拠もでてきた、というのが氏子さんたちの主張。しかし、その土地の隣地の方が所有権を主張し、倉庫を建てるなどして占有した、という話。で、裁判の末、元々神社の土地であることは確認されたが、占有者の取得時効が成立して、占有者の所有が認められた、という顛末。なかなか、難しい問題で、部外者がアレコレ申し上げる立場にはございません。

今回の倒木。ご神木とも目される巨木が倒れた先は、その倉庫。倉庫は、屋根の部分が少しだけ、損壊しちょりました。これには、つい、双方、どう受け止めたのかなあ、などとイランことを考えてしまいますが、もちろん、部外者が立ち入るべき問題ではございません。


←前日の日記2014年08月の日記翌日の日記→

HOME今日のにっこりひまわり

日記検索

年月別過去ログ

年のクリックで月を表示・非表示します。月をクリックすると記事一覧を表示します。

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

サイトマップ

facebook  instagram  twitter