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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

上岡に残る歴史の数々〔4146〕2014/08/22

上岡に残る歴史の数々

2014年8月22日(金)降ったりやんだり

本当に、酷い天気。広島での凄まじい雨は、想像を絶します。地球の環境が何やら劇的に変化してきゆうがは間違いないような気がします。これほどの豪雨があちらでもこちらでも、頻発しているのは、ちょっと異常。人類、何かを考え、何かをせんといかん局面にきちゅうがかも知れません。犠牲になられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様に、心より見舞い申し上げます。

夜明け前。高知市内ではかなりガイな雨が降りました。しかし、出勤して、ここ、野市の上岡八幡宮さんまで来てみますと、夜の間に降った形跡がない。地面が濡れてません。降るエリアが集中し、大雨となる、そんな天候が続きます。このまま夏は過ぎ去ってしまいのでしょうか。
人生、帳尻が合うようになっちょりますので、今降った分、カラリと晴れて過ごしやすいお天気が続くことになるかも知れません。

上岡八幡宮さんの参道を、そのまま南東へ延ばした地点に、このオブジェが立ちます。以前もご紹介しました。嘉永年間、つまり、安政南海地震の少し前にご寄進され、建てられた鳥居の痕跡。向こうに見える小山が上岡山。八幡様が鎮座まします山。石船伝説に彩られる古い山で、神の岡なので神岡、上岡。
手前の鳥居の脚。建立直後の安政南海地震にはビクともせんかったようですが、昭和20年に、このような姿になってしまいました。
この向こう、物部川対岸にできた海軍高知航空隊飛行場が、米軍の攻撃対象となり、その爆撃がこの界隈まで行われたのであります。爆風によって鳥居は吹き飛ばされ、このような姿になってしまいました。左側の足下。そこには、まだ、吹き飛ばされた鳥居の笠木の部分が、そのまま転がされています。地元の方のお話では、敢えて、戦争を忘れないように残してある、とのことでした。
69年前の戦争の痕跡。久々に撮影してみましたが、古い参道は雑草が生い茂り、夏の風情。
今は、ここから南側には道はなく、田んぼや畑が広がるばかり。昔は、小径があちこちにつながっていたのでしょうか。その小径を通ってやって来て、この鳥居をくぐり、八幡様へお参りしていたのでしょうか。

石船伝説の残る小山。上岡山。上岡地区は、元々、対岸の物部郷の一部でした。昭和17年、立田村、田村、三島村が合併して日章村ができた際、大字物部の中の上岡だけが、日章村から切り離されて野市町に併合された、という歴史をもちます。それがなければ、今でも、この上岡だけ、物部川東岸にあっても南国市、ということになっちょったかも知れません。
物部川河口、西岸の久枝地区に隣接して、今でも香南市、旧吉川村の一部が残っちゅうのと同じように。

さて。旧物部郷にある、石船伝説の残る上岡山。石船伝説は、物部氏の祖神、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が、河内国から石船に乗って飛んで来て、上岡山に降り立ち、その後、再び飛び立って現在の天忍穂別神社、通称石船神社の場所に降り立った、というもの。
物部川によって分断された上岡が、それでもずうっと物部郷であったのは、この山が物部氏の祭祀と密接に関わる場所であったからに他ならんでしょう。ひょっとすると、この上岡山が、土佐にやってきた物部氏族の拠り所であったのかも知れません。

物部川の流れが変わって現在の流れに固定され、物部氏の記憶も薄れ、いつしか、上岡と物部氏の関係も忘れ去られて、物部という地区から野市へ編入することになってしもうたのでしょうか。
そんな歴史も、こんな戦争の歴史も、様々な歴史が流れてきた上岡。神岡。神の岡。


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