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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

昭和12年、南国土佐大博覧会〔4159〕2014/09/04

昭和12年、南国土佐大博覧会

2014年9月4日(木)今は晴れちょります

昨夜は降りました。かなりガイに降りました。せっかく、通常の状態に戻りつつあった物部川も、今朝はまた増水し、濁っております。今の時間帯は青空も見えますが、天気予報を見ると今日は雨。しばらく雨の多い日が続くにかありません。ああ。もう雨はいらないのに。

さて。
今日は昭和12年の話題。昭和12年と言いますと、7月に盧溝橋事件が勃発し、泥沼の日中戦争がやって来た時代。その年を境に、マスコミの含め、国民こぞって不幸な時代に突入していった、という説もあります。勇ましいことを言うと、愛国者と讃えられた時代。自分で愛国者と信じた人たちが、日本を不幸に追い込んで行った、そんな世相が本格的に始まった昭和12年。

しかし、戦前の、明るく活気に満ちた成長時代は、昭和12年までは、確実に存在したようです。高知では、昭和10年に悲願の土讃線が開通。汽車で、瀬戸内側とつながり、高知の人々は大喜びしておった時代。
その、土讃線開通を記念して、昭和12年、土佐の高知で初めて開催された本格的博覧会が「南国土佐大博覧会」なのでありますね。予算は当時のお金で50万円。貨幣価値が約1万倍であったという話もありますので、そうだとすれば50億円か。なかなかの博覧会でした。

その南国土佐大博覧会の模様を撮影した映像が残っちょります。また、博覧会だけでなく、土佐の風物をご紹介するものもあります。それは、前年くらいに撮影された、高知の風物と博覧会をアピールするプロモーション映像。弥次さん喜多さんに扮した俳優が、汽船で高知にやって来てハイヤーで室戸へ。室戸から、各地の名所を見ながらバスに乗って高知へモンてくる、という映像。これには、博覧会の起工式や祝賀会の様子、知事、市長、そして商工会議所会頭の野村茂久馬さんも出演しちょります。なかなか貴重な映像。

で、この写真。
昭和12年の大博覧会の様子を撮影した映像を観ながら、当時のことを回顧する、というNHKさんが昭和の終わり頃につくった番組がありまして、そのビデオのオープニング部分。この番組では、博覧会に関わった3名の方にゲスト出演してもらい、映像を見ながら、色々とインタビューしております。そのゲストとは。
一人は、当時、市役所に入ったばかりで用地関係の仕事をした岩川さんというおんちゃん。この番組当時は議員さんにかありません。もう一人は、その映像の中で、バスガイドのお嬢ちゃんとして出て来る方。43年経過しちょりますので、もう、お嬢ちゃんではありませんが。そしてもうお一方が、何と、入交好保さん。そう。桂浜の龍馬像建設で、中心的役割を果たしたことで有名な入交好保さん。博覧会当時は、満州へ土佐の産品を輸出する会社の支配人やったそうです。

その3名の方々の、当時を思い出しながらの解説が実に面白い。映像も貴重ですが、お話も貴重です。

博覧会のメイン会場は、今の競輪場、龍馬スタジアムがある界隈。その広大な敷地に、殖産興業のパビリオンが並び、遊園地も。飛行機がグルグルまわる遊具は、戦後、その場所につくられたこどもの国の遊具にも引き継がれちょりますね〜。
皆、お洒落(着物に帽子)をして、楽しそうな子供を連れてやって来ちょります。街中で、記念のパレードみたいなのをしゆう場面もありますが、得月楼の何百人もの芸妓さんのパレードが圧巻。

昭和12年。明治維新の後、文明開化から経済成長、大正デモクラシーを経て、庶民のエネルギーがどんどんと沸き返りよった時代。その最後の年かも知れません。
博覧会の映像からは、暗い世相はまったく伺えません。景気良さそうな笑顔ばかり。しかし、時代は、既に転がり始めちょりました。
南国土佐大博覧会が開催されたのが3月から5月まで。そして、盧溝橋事件が7月。

戦前の高知の風景と、戦争が始まる直前の庶民の生活がわかる、貴重な映像です。


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