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六條八幡宮、紫陽花、手水石巨大化競争〔4437〕2015/06/09

六條八幡宮、紫陽花、手水石巨大化競争

2015年6月9日(火)小雨

梅雨。梅雨といえば紫陽花。アジサイ。
昨年も6月4日にご紹介した、春野の六條八幡宮さんへ、今朝、ちくと行ってきました。ここの紫陽花は、それはそれは見事。昨年も書いたように、その種類の豊富さ、広がりは、県下で一番かも知れません。地元の有志の皆さんが丹精込めてお世話された紫陽花。弊社の事務員さん、Tさんのご実家の方が、その中心で活動されゆうそうです。素晴らしい。お陰で、美しい美しい風景を毎年楽しむことができます。ありがとうございます!

今朝は小雨。いや、紫陽花を愛でるには、ちょうどボッチリのお天気。早朝なので、誰も居ない静かな八幡様の境内には、色取り取り、様々な形状の綺麗な紫陽花が群れ、絵のような風景をつくりあげちょります。春野の旧役場から少し東へ行った水路沿いの八幡様。

この六條八幡宮さんの由来については、以前にも書きました。応永9年(1402年)に、京都六條左女牛八幡宮から勧請してきた、と、境内の由緒書きに書いちゃあります。西分村の産土神。
元々、源頼朝が、文治元年(1185年)、この界隈の吾川郡一帯を京都の六條若宮(左女牛八幡宮)に寄進しちょりますき、それとの関係でしょう。源家ゆかりの八幡様。

とは言え、ここは古くから栄えた土地。このしゅっと東に、縄文時代からの西分増井遺跡。この界隈、広大な弥生集落も営まれております。野中兼山が灌漑して春野を土佐のデンマークにする、その遥か昔から、ここは肥沃な土地であり続けてきたにかありません。

この六條八幡宮の近くには大寺廃寺跡。出土遺物から、奈良時代に創建されたとされる、大きなお寺さんが、この界隈にあった訳だ。
出土した単弁八葉蓮華文鐙瓦は、高知市北郊の秦泉寺廃寺跡からも同系統の瓦が出土しちょりまして、関連があったのではないか、という説も。
何せ、秦泉寺廃寺は渡来系の秦氏に関係するかも知れん、と言われ、大寺廃寺も、「秦姓を持つ郡司が文献に見られる(高知県埋蔵文化センター)」とのことですきんね。

縄文遺跡もあるように、元々、土着の勢力があった。そこに、農耕を主体とする農耕民族がやってきて、弥生文化を花咲かせる。そして、中央の影響を受けながら古墳時代を経て、渡来系の秦氏が勢力を持つようになる。時代が下って鎌倉時代となり、源家の影響下に置かれるようになった。
そんな歴史が妄想できますな。

ところで、この八幡様の参道入り口、鳥居の脇に、大きな手水石が鎮座します。刻まれた年号は、文政十年。1827年。
春野では、ここから南へ行った吉良神社に天保六年と刻まれた、ここのより巨大な手水石。1835年。で、ここから北西に行った荒倉神社。そこには、天保十一年(1840年)の、更に巨大な手水石。延20000人が、20日かけて、4kmの道のりを運んできた、という巨大手水石。

同じ吾川郡。
郡内の神社の間で、巨大手水石競争がエスカレートしていったがかも知れない。そんなことを、ここ、六條八幡宮さんで妄想したことでした。


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