1本からお届けします!お電話でのご注文・お問い合わせ

フリーダイヤル:0120-77-6245

今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

池川天明逃散事件〔4489〕2015/07/31

池川天明逃散事件

2015年7月31日(金)晴れ!

暑いっすね。
昨日は、お昼から夕刻まで松山で業界の寄合い。そして懇親会。その後、二番町界隈に飲みに出ました。今治風の、鉄板で焼く焼き鳥のお店。美味しかったです。今治風焼き鳥は初めてでしたが、これは、うまい。ビールと焼酎と今治風焼き鳥を堪能した松山の夜。

で、高知へイニよります。昨日と逆のコースを車で。久万高原町の役場のある久万の町から、岩屋寺の方へ向かうと、しゅっとのところに大宝寺さんがあります。昨日ご紹介した、池川の大逃散事件で池川、用居の600人余と名野川120人が逃げ込んだという大宝寺。久万の町の近くですき、結構、遠い。大きなお寺さんで良かったら、岩屋寺の方がずっと近い。当時の松山街道を通れば、伊予に入って最初の大きなお寺さんは岩屋寺。しかし、何故か、大宝寺さんまで逃げております。

この逃散事件、大宝寺住職の調停で、無事収まったのであります。この人数が準備もアテもなく逃げる、ということは考えられんので、最初から大宝寺の住職が関わっておったのではないか。しかもこの人数が、ぞろぞろと歩いて数十キロ。途中、藩の境も越えて。役人はどうしておったのか。
なかなかに謎の多い逃散事件。

ここは池川。旧池川町の街中。池川川に土居川が流れ込むところ。その河原へ降りていく道の途中で撮影しました。
この道を河原まで降りていくと、昨年11月18日にご紹介した、種田山頭火さんの句碑があります。
山のよろしさ 水のよろしさ 人のよろしさ
池川の印象は非常に良かったようです。
その句碑の少し上にある、この説明板。「天明逃散集合の地」。
そう。昨日ご紹介した大逃散事件では、池川・用居の601名が、この河原「安の川原」に集合して、逃散を決行した、ということです。

ん?

用居は、こっから松山街道を伊予方面へ進んだ、国境に近い村ではないか。それがわざわざ池川まで戻って、集合。なるほど。
逃げ込んだ先は久万の大宝寺。
松山街道を進んだのではないな、これは。ここから大崎方面へ下り、仁淀川沿いを北へ。名野川から逃散参加の120名を加え、仁淀川に近い、しかし当時はそんなに目立たんルートを通って大宝寺へと向こうたのではないか。この説明板を読みながら、そんな推理をしてみました。それにしても、暑い。

ところで、昨日の椿山。平家の落人が住みついてできた集落、とされる椿山。つばやま。椿山神社があって、太鼓踊りなどが奉納される、と、「高知県の地名」という昭和59年に発行された本に書いちゃありますが、今もあるんだろうか。
「青年以上の男子多数で、浴衣に編笠をかぶって両手の撥でたたき、歌いつつ踊る。歌は念仏踊・敦盛踊など二十一あり、平家の落人が都をしのんで始めたものといわれる。」
青年以上の男子が多数、椿山にも住んでおった時代。

昨日、手紙を配達に来ちょったおばちゃんの話では、この椿山川のカニは、その向こうの赤いサワガニと違い、白いそうです。それを平家蟹と呼ぶ、とおばちゃんの話。平家は赤で源氏は白なので、どういう経緯でそうなったのかは謎だ。
しかし、そんな平家の伝説、言い伝えは、これからどうなっていくのか。伝えられていくのか。そんなことを考えさせられる、美しい椿山でした。


←前日の日記2015年07月の日記翌日の日記→

HOME今日のにっこりひまわり

日記検索

年月別過去ログ

年のクリックで月を表示・非表示します。月をクリックすると記事一覧を表示します。

2025年

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

サイトマップ

facebook  instagram  twitter