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トーチカのある風景〔4593〕2015/11/12

トーチカのある風景

2015年11月12日(木)晴れ

今朝は高知。昨日、お昼の飛行機でモンて来ました。昨日は関西からのお客様がございまして、会社のご案内をしたり、食事をしたり。
そして、今朝は、朝一便の東京行き飛行機の機内で、このにっこりを書きよります。今日は業界の用事で岩手県へ向かっております。今週は日本列島行ったり来たり週間。

写真は、高知空港へ自転車で向かう途中、物部川の土手で撮影したもの。自転車で空港へ行ける弊社は恵まれちょります。
さて。
昨日、白村江の戦いで惨敗したのを受けて、天智天皇たちが大慌てで構築した水城からお届けしました。自らが招いた危機への対処と言えましょう。
今、客観的に振り返ってみますと、あの時代に朝鮮半島の政局へ介入していく必然性はありませんでした。バックに唐という巨大帝国を控える新羅に対して、こちらから出かけて行って戦争を仕掛ける必然性。
天智天皇やその取り巻きグループのちょっとした暴走と言えるかも知れない。

で、惨敗し、唐・新羅連合軍が日本へ攻め込んでくるかも知れない、とパニックになって構築したのが大野城であり、水城であった訳だ。

この写真のコンクリートのオブジェ。太平洋戦争末期、米軍の攻撃に備えて構築されたトーチカ。今も、物部川の土手に、このように静かにたたずみます。
あの水城は、使われることはありませんでした。唐帝国も、そんな必要性を感じていなかった日本侵攻。しかし、このトーチカは使われました。

現在の高知空港の場所に、海軍航空隊飛行場が建設され、基地ができたのは太平洋戦争後期。
サイパンが陥落し、日本本土も、米軍機による直接攻撃が行われるようになりました。海軍飛行場は当然ながらその標的になり、頻繁にグラマン等による攻撃が行われたのであります。

初めて米軍機による本格的攻撃があったのが、昭和20年3月19日。
午前7時半、11時、12時半の3回、それぞれ50機ほどのグラマンが機銃掃射やロケット弾攻撃を仕掛けてきたと記録されます。北東の野市、上岡上空から降下してきながらの攻撃。物部川の土手には迎撃用のトーチカがつくられ、そこで、30mmの機銃にて迎撃したと言います。
昭和20年3月19日と言いますと、硫黄島で激戦が繰り広げられゆう時期。大本営発表では3月17日に玉砕したと発表するも、3月26日までは最後の抵抗が続いていた、そんな時期。
沖縄戦が始まるのが3月26日なので、その直前。

それから終戦まで。幾度も幾度も米軍機は、ここに攻撃をしかけてきた。
このトーチカでも、若い海軍兵が、命をすり減らしながら機銃を打っていたことでしょう。

あのアメリカとの戦争も、今になって客観的に見れば、なんとか回避せんといかんかったもの。しかし、開戦の頃の空気、世論は「必然」であったと言う。時代の空気やマスコミが、制御できない方向に走ってしまうことの危うさが、ここにあります。

7世紀の無謀な戦争は、一部指導者による暴走であったが、20世紀の戦争は、煽り始めた当人たちにも制御できなくなった時代の空気の暴走である、とも言えるかも知れない。

そんな時代の痕跡が、今も、こうして川の土手に、人に振り返られることもなく、静かに佇む。
静かな風景。


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