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新しい道の夜明け〔4758〕2016/04/25

新しい道の夜明け

2016年4月25日(月)晴れ!

一昨日、4月23日の午後3時、東部自動車道の、なんこく南インターと高知龍馬空港インターの間の区間が開通しました。これにより、高知市内と高知空港の間の所要時間が数分短縮される、とのこと。
で、今朝、通ってみました。新しい区間。
写真は、伊達野界隈。左端に見えるのは吾岡山。彼方に、三宝山や秋葉山が見える、夜明けの風景。朝5時頃。
この時間帯ですと、所要時間はメッソ変わりません。電車通りも南国バイパスも、車は少ないので、家から会社までは下道を走っても15分くらいで着いてしまう。ので、そんなにメリットがある訳ではないが、夜の帰社には便利そう。渋滞の時間帯、南国から高知市内へと帰るのにはメリットがありそうな、新しい道路。

以前、2013年9月16日に、南国市田村界隈の、工事中の道路によじ登って撮影した風景があります。あのように、基本、土盛りで南国市を横切る道。なので、南海トラフ地震の際、津波の防波堤の役割も期待されちょります。逆に、道路の南側の皆さんには、ちょっと微妙かも知れない土盛りの道路。

この道路、高知空港のインターから、五台山の南の高知南インターまでが開通しました。
空港インターと野市インターの間は、用地買収で難航しているとの話もあって、なかなかしゅっとのことにはならんにかありません。
それはともかく、この道路、高知南インターから稲生までは、仏像構造線に沿って走ります。四万十帯と秩父塁帯南帯との境界の断層。活断層ではないので、この断層が自信を引き起こすことは、ない。

そのルート沿いでは、偉大な人物が生まれている、という話を以前にも書きました。高知南インター近くの谷間に、濱口雄幸さんの生家。今も建物が記念館として残る、濱口さんの家。
その東、吹井には、武市半平太さんの生家。こちらは、今も民家として使われているので入れませんが、瑞山神社があり、そこに記念館ができちょります。

昨日、土佐史談会の総会がありました。その記念講演は、土佐山内記念財団の渡部先生。土佐山内家宝物資料館の館長さんですね。今、お城の前に建設中の「高知城歴史博物館」は、山内家から高知県に寄贈された67,000点という膨大かつ貴重な資料の整理、研究、展示を行います。その資料の貴重さを、昨日はじっくりと伺いました。すごい。

中でも、「長帳」という、藩政期初期から明治になるまでの膨大な書簡類が綴じられたものは、表の歴史、公的な歴史にはない、裏の、つまり実際の社会の動きや人々の微妙な感情の交錯などがわかるという貴重な資料。まだ、誰も研究に手をつけてない、というのも魅力だ。
明治から昭和までの古写真1万点は、それだけで写真資料館ができるほどの価値とボリューム。
美術工芸品や、生活用具なども夥しい。他の藩とかだと、文書類は大学などに寄贈され、美術工芸品は本家に残される、といった経緯をたどったものが多いが、山内家の場合は一緒に残されている。それにより、文化研究という観点で非常に貴重なものになっちゅうそうです。

また、幕末から明治にかけての文書類などの資料も、歴史の教科書を書き換えるくらいのインパクトがある、と言います。

武市半平太。
武市半平太さんのウィキを見ると、武市を切腹させたことについて、晩年の山内容堂侯が、「半平太、ゆるせ、ゆるせ」と悔いていた、と書かれています。が、山内家の私信や文書などを見ると、そうではなかった事実が浮かび上がってくる。
容堂侯ではなく、16代藩主の豊範侯が、最期まで、武市に申し訳なかった、と悔やんでいたのが事実。で、半平太の妻、富子さんが大正6年に亡くなった際、山内家が玉串料を出金した証書があるし、山内家が、武市富子さんをずうっと援助していたことも、出納の資料でわかったそうです。

そんなこんなの、まだ整理されたばかりの、膨大な資料。近世や近代の研究者垂涎。未研究の分野が多いので、新しい事実が判明したりするのもこれから。

良い話を聞きました。


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