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南与力町の工事現場〔4801〕2016/06/07

南与力町の工事現場

2016年6月7日(火)雨

雨の火曜日。昨日は6月6日で、6月6日に雨ザーザー、というかわいいコックさんの歌詞を思い浮かべる日でしたが、夜まで降りませんでした。
飲みに出ちょりまして、家に帰ったのは23時頃でしたが、まだ、降ってなかった6月6日の、夜。

今日は、朝から、雨。梅雨らしく、しっかりした雨脚で、シトシトと降り続く、雨。

ここは、与力町。
そう。以前、ひまわり乳業の本社があった、場所。ここに、今、病院が立とうとしています。

ひまわり乳業は、大正11年を創業の年とします。高知市の北、秦泉寺で、乳牛とヤギを飼い始めたのを創業とする。
で、そこで搾った牛乳やヤギ乳を瓶に詰め、近所に配って販売したのが嚆矢。

その後、愛宕の踏切の北側に木造三階建の処理場を建設する。昭和の初め頃のこと。
僕の父は、そこから江ノ口小学校に通ったと言います。そして戦争を迎え、終戦。

その頃になると、県内にいくつかあった牧場と乳処理場が徐々に合併されていく。で、昭和21年。
この与力町のこの場所に、工場を建てて吉澤牛乳設立。そして高知牛乳食品株式会社になる。

写真の、向こう側に見える樹々は、松渕川公園。右手の薄緑の建物が竹下病院さんで、その竹下病院さんが、この場所に新築移転する、という訳だ。
松渕川公園という名前は、その南側、つまり、この工事現場と公園の間を、松渕川というドブ川が流れていたから。
僕の記憶には、ここを流れていた川の記憶は、ない。

そうそう。ここは本社で、工場で、僕の生まれた家があった。
大きなショベルカーの右手くらいに木造2階建の社宅。そこで、僕は中学1年生まで住みました。その右手にはかつて質屋さんであたという頑丈な家もあり、そこも家の一部になっていた。

地理院地図で見てみると、この場所の標高は1.6m。つまり、この、作業をしている人たちが立っている場所は、海水面下。
掘られた壁面をよく見てみると、丈夫は茶色い土で、下の方は黒っぽい粘土質に見えます。
あの粘土質の部分が、元々の地層でしょうか。あの粘土質の上が徐々に埋め立てられ、武士が家を建てて住むようになった、江戸時代。
なので、じっくりと地面を掘れば、間違いなく、江戸時代の武家の暮らしがわかるナニかが出土する、そんな場所。

この鉄筋がむき出した基礎杭は、地下30mの、洪積層の固い地盤まで到達していると言います。そうでないと、ここに、耐震ビルは、建たない。

気になるのは、ショベルカーの右の方に並べてあるコンクリートの塊。あれ、この地中から出てきたものにかありません。それも、たくさん。
何でしょうかね。
ここにあった工場は2階建で、そんなに深い基礎工事をやっていたとは思えません。それでも、あんなコンクリートの塊を埋めて、基礎の重しにしちょったんでしょうかね。
昔の工事の図面などは残ってないと思うので、真相は、わからないですが。

ともあれ、ここにあった工場は、昭和50年代後半までは稼働しておりました。
さすがに街中で、工場は無理になり、南国工場へ統合。
それでも物流センターとしての機能と本社は残されていましたが、さすがにこの街中では難しくなり、また、南海地震の津波浸水も考えれば、すべての昨日を南国へ統合、というのは良い判断であったと思っております。はい。

風景は、どんどんと変わってゆく。
ここにできる病院は、近在の皆さんの津波避難ビルにもなる予定です。


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