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鷹匠町考4〔4854〕2016/07/30

鷹匠町考4

2016年7月30日(土)今日も暑い

クマゼミがワシャワシャ。
暑い夏。善き哉善き哉。

で、今日も鷹匠町。
しょう、まっこと、しわい。
この3日間、藩政期の鷹匠町の状況を文字にしてきましたが、やっぱし、絵図を見んとわからんと思いまして。で、今朝は、1746年から1750年の間に描かれたと思われる「高知廓中図」。

ほら。ここが鷹匠町。
右下に見えるのが天神橋。天神橋の北側に、逆U字型の堀があります。これは、ここの城下町がつくられる前の、鏡川の蛇行の痕跡。その逆U字から西へ、まっすぐに伸びるお堀の両脇が、鷹匠町という訳だ。
昨日の写真の、家が並ぶ細長いブロックが、このお堀。お堀の右下、現在の鷹匠町公園のところに「御鷹部屋」と、見えます。

お堀の北側が黒い太い線になっちゅうのは、堤があった、ということを表現しちょります。そんな風景。

そのお堀の南側が外鷹匠町で、北側が内鷹匠町。外鷹匠町に住んでいる人の名前を見てみますれば、日比さんとか、曽田さんとか、見えます。日比さん、曽田さんは、藩政期を通じて、この界隈に名前が見える。他の人々は、かなり入れ替わりが激しいですが。
曽田さんも日比さんも、鷹匠の家系やったんでしょうかね。妄想が膨らみます。

現在の三翠園の場所は、幕末、山内家の別邸を建てる為に7軒の家臣の家を接収したもの、と、こないだのにっこりに書きました。
この、18世紀中頃の絵図でも、7軒だ。
その右手。逆U字型の内側。一番下は片町。片側が土手の、片側町。その北の、東西の通りに面した8軒が、文字通り八軒町。東西をお堀に挟まれた、8軒しかない通りなので、八軒町。よくわかりますな。
で、その北側が中島町。

中島町は、ご覧のように、逆U字の内側が中島になっちゅうので、中島町。これもわかりやすい。

この絵図は、考証では、上に書いたように、1746年から1750年の間に描かれたもの、とされています。
高知城は、1729年の大火で、追手門以外ほとんどが焼け落ちた、と言われる。で、再建が完了したのは、1749年。そう。1749年。

この絵図の上部をご覧ください。
南門と、追手門が、見える。

追手門は焼けんかったので、それ以前からのものなのか。南門は、再建されたものなのか。それは、わからない。時代的には微妙。
ただ、両方とも、建物部分が赤いのが、気になります。赤かったんですかね。そうとすれば、なかなかに派手だ。
この頃の習慣として、お城本体を絵図に書くことは憚られちょったので、これは貴重な絵かも知れません。派手なシャチホコが乗り、赤く塗られた追手門。
これが本当の姿を描いているのか、そうでないのかは、検証が要りますな。

さて。
鷹匠町の話は、これっぱあにしちょきましょうか。
そう言えば、高知城の別名は「鷹城」。
鷹匠町、昨日の写真の右手の道沿いにある乳児園は、「たかしろ乳児保育園」。鷹匠町にある「たかしろ」乳児保育園か。この「たかしろ」は、高知城の「鷹城」からきているのか。鷹匠町にあるからだと、「たかじょう」乳児保育園になりますきんね。両方、ひっかけちゅうのかも、知れません。


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