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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

祈年神社と直線官道〔4925〕2016/10/09

祈年神社と直線官道

2016年10月9日(日)小雨のち曇り

今日は高知。昨日の夜、モンてきました。昨夜は結構蒸し暑かったんですが、今日は涼しいっすね。朝は会社。しばらく留守にしちょったので、色々と溜まっちょります。で、お昼、南国市界隈をたつくってきました。

南国市の、南国自動車学校とかがある小篭の北側に、山。長岡台地の上に、東西に延びる山。坂折山とか、年越山とか呼ばれる、古くから神様がすむ、山。
その山の北麓に祈年神社。としごい神社、と読む。
僕が頭を下げている向こうに自然石の碑が見えますでしょうか。その石には「千二百五十年祭記念」と刻まれちょります。昭和31年に建てられた碑に、1250年祭、とある。逆算してみると、西暦706年だ。

これは、その辺の伝説とかではなくて、かなり権威のある証拠が、あります。続日本紀ですきんね。続日本紀文武天皇慶雲三年(706年)2月26日条に、甲斐、信濃、越中、但馬、土佐諸国の十九社、始めて祈年祭幣の例に列せらるという記述があるんですな。
よく意味はわからんが、とにかく、由緒ありまくり、ということは、わかる。

ここは、太古の昔から、重要な場所であった。
この神社から北西に士島田遺跡というのがあって、あけぼの街道工事に伴う発掘調査で、昔の官道が出現した、という話を書きました。奈良時代から平安時代にかけての官道。その発掘現場の写真を見るとわかるように、かなり広い直線道路だ。
基本、日本では、広い直線道路などというものは発達しなかった。地形が複雑で、湿地帯や河川が多い地形では、あまり、直線道路の意味がなかったから。馬が引っ張る戦車みたいなの、走らせれませんきんね。

しかし、飛鳥時代から藤原京、平城京の時代、全国にそんなのが作られた。それは、間違いなく、隋や唐の影響。日本も、国際的に恥じない、立派な国家にしていくんだ、ということで、律令制度を始め、様々な仕組みやインフラが、中国をまねて構築されていった、そんな時代。

ここ、祈年神社が706年にできたんだとすれば、まさしくそんな時代。大宝律令が701年で、平城京が710年ですきんね。なんと美しい。

一昨日、奈良の橿原で、色んなことを勉強しました。
藤原京は、その規模や都市計画においても、非常に大規模な都市であったにも関わらず、なんで16年で終わり、平城京になったのか。
それは、王の住むエリアが、条里の中でも低い土地にあり、家臣が高い場所に住む都市であったから、という説もあるそう。なるほど。

昨年の10月に、奈良、平城京をご紹介しちょります。なんか、広大な空き地に、突然屹立する復元された朱雀門。そんな感じ。
それにも理由がありました。
世界遺産に登録されたので、いいかげんなものは、建てられない。空き地にしておくか、キチンと考証された復元施設を建てるか。それしか、ないとのこと。変な観光施設、レプリカなどは建てれんのでありますね。なので、広大な空き地なのか。
そう聞くと、あの空き地が、素敵な空き地に思えてきました。

祈年神社。
この神社が先だったのか、この西の広い直線官道が先だったのかは、わかりません。
しかし、この界隈が、今から1300年前には、土佐では非常に重要な場所であった、ということは、わかります。


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