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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

長谷の地蔵堂〔5439〕2018/03/07

長谷の地蔵堂

2018年3月7日(水)薄曇り

昨夜から今朝にかけては、少し冷えました。また、少し荒れたお天気になるとかならんとか。でも、確実に春には向かっている、高知の風景。菜の花も満開。

 

ここは芸西村。仕事があって、行ってました。黒潮カントリークラブへと上がっていく道の途中、右手に見えてますよね。僕はゴルフをせんので知らんけど。あのお堂。長谷(ながたに)の地蔵堂。

お堂の境内に、その地蔵堂の謂れを書いた説明板が立ってます。それによりますれば。

ここに、長谷寺というお寺があったそうな。で、800年程前に大きな竜巻があり、ご本尊の十一面観音もろとも、お寺は羽尾まで吹き飛ばされたんだとか。羽尾。夜須の、とっと奥ではないか。

で、村人が、境内にとり残されていたお地蔵さんを、夜を徹して羽尾まで運ぶ。で、羽尾に安置して、翌朝長谷まで戻ってみると、まだ、お地蔵さんが戻ってきているではないか・

そこで地蔵堂を建て、村の守りといたしました。めでたしめでたし。

現在、地図をみると羽尾には長谷禅寺というお寺さんが見えるので、これが、長谷からなんらかの理由で遷座されたお寺なのかも知れません。で、なんらかの理由でお地蔵さんが残されたのか、誰かがお地蔵さんをつくったのか知らんけど、元々長谷寺があった場所に、地蔵堂がつくられた、という感じでしょうかね。800年前と言えば平安末期から鎌倉初期。毎朝えんぴつでなぞっている「方丈記」の時代だ。

鎌倉幕府が開かれ、政権が変わったことと、長谷寺の遷座とは関係あるんだろうか。それとも他の理由があったのか。

 

方丈記には、文治地震のことが書かれてます。こないだ筆写しました。1185年8月に発生した大地震。京の都の被害はすさまじく、その悲惨な様が方丈記にも描かれているのであるが、その地震、琵琶湖西方の断層がズレた地震、という解釈が一般的。でも、方丈記など、色んな文献で広範囲での被害が報告されていることから、南海トラフ地震であったのではないか、という説もあるそう。

南海トラフ地震は、1099年の康和地震、1361年の正平地震が確認されているけど、その間が262年も開いている。ので、文治地震は南海地震であった。のかも、知れない、という説ね。

ちなみに地理院地図でこの場所の海抜をみると11m。

地震で地蔵堂が倒壊し、津波も、近くまで押し寄せた。だから、山奥に遷座することにした。

 

そんな妄想も、暴走できますね。

ちなみにこの地蔵堂のご本尊、木造の延命菩薩像で、空海作とのこと。う~ん。それは、ないかな。ちょっとね。そうだったら凄いことになりますもんね。

 

ここの地蔵堂も、昨日書いたように、地域の人々が集まり、話し合いをしたり、通夜をしたりしたのでありましょう。若衆組や、娘組も。

 

左端に文化六年と刻まれた手水の石。1809年だから、結構古い。その横の顕彰碑は、この村出身で、長浜雪蹊寺で修行中に浦戸一揆のことを知り、昭和9年、長浜に立派な六地蔵等を建立したという堀川全明尼の、顕彰碑。お地蔵さんと芸西村つながり。

 

様々な思いが、この境内には込められ、伝説で彩られ、今に伝わっている。ムラの歴史そのものが、ここにあります。


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