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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

有馬神社、水天宮、秋葉神社、そして宗教〔5693〕2018/11/16

有馬神社、水天宮、秋葉神社、そして宗教

2018年11月16日(金)晴れ

今朝5時前の、土佐橋界隈。電車通り沿い。左端の明るいところは、はりまや橋交差点。ここには電車通りの向こうからこちらに向かって堀川が流れ、それに架かる橋が、土佐橋だった。今は堀川も埋め立てられ、欄干だけが土佐橋の名残を残している。

その土佐橋の南詰には、水天宮があった。火と水の神様、水天宮。いつしか「有馬神社」となりました。水天宮での御祭神は安徳天皇のお祖母様。と言うか、平清盛の奥さん、平時子さんね。壇ノ浦で、安徳天皇を抱いて入水した、あのお方。全国の水天宮は、安徳天皇とか建礼門院(安徳天皇のお母さんね)とか、二位の尼と言われた平時子さんである場合が多いので、当然っちゃあ当然。

有馬神社になった謂われは、知りません。でも、地元では、水の神様ということで尊崇されてきたと言う。

 

で、電車通りの向こう側に、少しだけ見えてるのが秋葉神社。言わずと知れた火伏せの神様。水の神様と火の神様が、道を挟んで対峙している感じでしょうか。ここに流れていた堀川は、毎日おびただしい物資や人を乗せた舟が往来し、その沿岸は商業の中心として賑わいました。

もちろん山内一豊の都市計画で、この界隈を意識的に商業ゾーンにしたのであります。そこで、浦戸などに住んでいた商人を、まるごとここに移してくる。浦戸町。

浦戸には、長宗我部の時代から、堺や兵庫などからたくさんの商人が移住してきていたと言います。一向宗門徒の、商人や職人。元親は、浦戸に城を構築し、浦戸の城下町にグローバルに活躍する商人や職人を集めたのか。そして、そのグローバル人材が、一豊の城下町建設に際して活用された、ということか。

 

戦国末期、紀州雑賀門徒の櫃屋の一族も、摂州飾磨の一向宗門徒播磨屋の一族も、浦戸に移住してきておりました。浦戸湾沿岸は、今想像するよりずっと、グローバルな雰囲気が溢れる先進的地域だったのかも知れない。

一豊の都市計画に沿って浦戸から浦戸町界隈に移住してきた商人。この堀川沿いに、その商家を建て、町年寄を形成して藩政に強い影響力を及ぼした。堀川の南に櫃屋、北側に播磨屋が立ち、その有力者二軒を結ぶ私的な橋が、播磨屋橋。はりまや橋。

 

堀川を挟んで町の有力者である商人が対峙する。水の神様と火の神様が向かい合う。堀川がいかに、当時の人たちにとって重要であったのか、よくわかる。

 

そうそう。一向宗門徒の話ばかりしましたが、室町始めの頃には禅宗の僧たちが、その後も日蓮宗門徒が土佐に進出しており、浄土宗などの門徒も来てました。

宗教と移住。これは結構重要な日本史のテーマかも知れない。少なくとも、高知の城下の商人の町は、そういった宗教門徒の移住がなければ始まらなかったかも知れません。

もちろん恵比寿さんや水天宮、秋葉さんなど、身近な神様もたくさん居て、人間と信仰が強く結びついていた時代。


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