北面観音堂の謎〔5729〕2018/12/22
2018年2月22日(土)冬至
暖かい暖かい春のような冬至になりました。雨上がりにお日様。春のような陽気になった、今年の冬至。これから年末にかけて、寒気がやってくると言うてますね。油断禁物火の用心。
今朝は会社。クリスマス前ということで、関係営業さんは出社してきて配達やら何やら。工場の方も、なんか落ち着かない感じのこの季節。みなさん、ご苦労様です。僕はと言えば、午前中仕事をしまして、お昼は市内へ、少し時間をつくって脳内リフレッシュRUNを敢行して参りました。
それにしても、龍馬マラソン恐るべしですな。明らかに、市民ランナー増えました。本番が近いこともあって、今日もたくさんの善男善女があちこちを走る走る。
そんな風景のなかを、僕はのったりまったり走る。
ここは加納院観音堂。團子堂とも。
幾度かこのにっこりでご紹介してきた、新月橋北詰の東側に鎮座まします観音様。以前は思案橋の近くにあったものが、ここに遷座して参っております。いつ頃、遷座してきたんだろうか。幕末、吉田東洋を暗殺した那須信吾、安岡嘉助、大石団蔵は、観音堂まで東洋の首を持って来て待ち合わせたとされてますが、その時の観音堂は思案橋の横だ。明治以降のいつの頃か、ここに遷座された観音堂。
その、この場所の遷座された観音堂は、南に向いた観音堂だった。以前もその話、書きました。このように新しく建て直されるまでは、この観音堂は南向きだった。
通常、神社やお寺さんは南向きが多い。それか、東向き。西向きになるとかなり少なくて北向きはもう、ほとんど、ない。
だから北向きの神社やお寺さんは、北を向いている理由をわざわざ縁起に書いていたりするのだ。例えば。那須の北向き地蔵尊の、こんな悲しい伝説とか。東京都府中市の大國魂神社は本殿が来た向いているので有名だけども、それは源頼義が東北地方を神威によって治める、という強烈な意思を示すためにそうしたと言われてます。
そう。わざわざ北向きにするには、理由が要る。
ところがここ、加納院観音堂は、つい最近の立て直しで北向きになった。このように、嘗ては南面していた観音堂。
これには理由があるのではないか。あるとすれば、そのヒントは嘗て鎮座していたという思案橋近くの場所にあるのではないか。思案橋の西北に鎮座していた観音堂は、そもそも北面していたのではないか。そんな妄想が暴走する。年末で忙しいというのにね。
いつか、調べてみたいと思いました。年末で忙しいので。